★20年前の今日(1995年5月1日) ~文京区から船橋に引っ越してきた直後&薬害エイズ「厚生省を囲む人間の鎖」案了承 2015年5月1日

朝倉幹晴

私が東京都文京区から千葉県船橋市に転居したのは1995年4月末。ちょうど20年の節目に市議にお選びいただいたことにご縁を感じる。
 そして、引っ越しの片づけも完了していない1995年5月1日。私は船橋駅改札に行って、船橋市内(新京成沿線)に住む大学時代友人Bさん(女性)に会う。というのもBさんはHIV訴訟を支える会の事務局長をしていて、その日開かれる薬害エイズ訴訟弁護団・支える会会議に、
私が提案する「厚生省を囲む人間の鎖」案をBさんから説明していただく基礎資料をお渡しするため。津田沼からJRに乗り換えたBさんに船橋駅で一端途中下車していただき、船橋駅の改札外から、Bさんにレジメを渡し、東京での会議で案が了解されることを祈りながら、Bさんの背中を見送り私はまた引越し片付けに戻る。
 夜、Bさんに電話し会議で「厚生省を囲む人間の鎖」を実施することが決定したことを聞いた時はうれしかった。
(その後、Bさんは、2007年の川田龍平さんが無党派で東京選挙区で挑戦する時は東京に泊まり込みで応援したが、龍平さんがみんなの党に入った時点で訣別した。私も先日、龍平さんが維新の党に入った時点で距離を置くことにした。)
 Bさんは、前回まで私の市議選を手伝っていただいた。今回は私と連絡を取りながらも、Bさんなりの判断で、船橋の別の脱原発候補を応援し、その候補も合格した。今後も様々な市民運動でご一緒できる方である。