【2025年、#船橋市議会 市民環境経済委員会視察2日目(10月21日)午後】#今治市 の #有機農業 #学校給食 報告

2025年10月23日(木)朝倉幹晴(船橋市議、市民環境経済委員)
(帰船(船橋に帰宅した)後23日(木)執筆)
船橋市議会市民環境経済委員会では、2025年10月20日(月)〜22日(水)の2泊3日で、神戸市、愛媛市、今治市、尾道市を視察しました。
【3分動画】神戸市→高松市へ移動中、瀬戸大橋からの見た瀬戸内海
視察2日目(21日)午前は、高松市(香川県)で、中心市街地活性化、丸亀町商店街再開発に関して、高松市役所で説明を聞き、質疑応答した後、丸亀町商店街を歩いて視察しました。
【3分動画】高松市中心市街地活性化、丸亀町商店街再開発事業説明冒頭
そして、視察2日目(21日)午後は、今治市の「学校給食」と「有機農業・地産地消」について、(愛媛県)今治市の学校給食課と農林水産課からご説明を伺い、質疑応答をいたしました。以下、内容を速報します。
【3分動画】今治市の有機農産物の学校給食活用(学校校給食課)
今治市で学校給食への有機農作物を使用するようになった経緯
1981年 学校給食センター老朽化に伴い、建て替え計画が浮上
1981年 今治くらしの会(代表:阿部悦子、約1200名)が学校給食の自校化運動の取り組みを始める。
1982年 市長選挙(新しい大型給食センターの建設を主張する現職vs自校式調理場を推進する新人が立候補。今治立花農協、今治くらしの会の支持を受けた新人が当選。
(全市1か所の)学校給食センター建て替えは中止され、単独か共同(2校)の調理場設置方針になる。
1982年 生産者と消費者が有機農業を目的に提携する、日本初の協同組合「愛媛有機農業生活協同組合」を設立
1982年 今治立花農協総会で動議。自分たちが作った安全な作物を子や孫に食べさせるため、学校教育に地場野菜有機農産物を導入するように市に要望する総会決議。
1983年 鳥生(とりう)小学校調理場場単独給食開始。以降、2000年まで順次、調理場整備
1988年 議員発議により「食糧の安全性と安定供給体制を確立する都市宣言」議決
1999年 学校給食米を今治産特別栽培米(農薬・化学肥料50%以上削減)に切り替え
2001年 今治産パン小麦を使ったパン給食を開始
2002年 学校給食用豆腐の原料を、今治産大豆に置き換え
2008年 今治市有機農業推進協議会発足
特に転換点となった1982年には、今治くらしの会(消費者・学校保護者)、今治立花農協(生産者)、新市長、市役所内で熱心な職員(行政)などがそろって一気に転換を進めた。住民運動が、市の政策を転換したといってよく、市長のリーダーシップも含めて素晴らしいと感じました。
今治産有機米学校給食に関しては、以下のような安定的なフローが確立されている。
小麦については、もともと小麦を生産している農家はなかったが、この給食との連携後、小麦生産に挑戦する農家が生まれ、今は
90%以上が市内から供給されている。
豆腐の原料の大豆も今治産に置き換えている。
学校給食の野菜も今治産の増加を目指しているが、徐々に増やしている。
以下は、野菜の使用状況である。
有機野菜の普及にあたっては、不揃いの野菜への理解が不可欠である。調理においても、大きさが不揃いの場合、
揃っている場合よりも手間がかかる。しかし、調理員にはその点も、市の方針を説明し、理解を求めている。
生徒や市内の料理人に参加していただき、メニュー募集のコンテストを行うことで
学校給食への児童生徒参加、市民参加を進めている。
朝倉からの質疑1 愛媛大学農学部と連携しているか?
回答 審議会の委員などになっていただきご意見を伺っている。
朝倉からの質疑2 今治くらしの会の阿部悦子代表の経歴をネットで調べさせていただいたが、1970年代より公害反対運動にかかわり、この学校給食への有機農産物使用運動ののちに、市議会議員・県議会議員になられている。行政内にも積極的推進にかかわったキーパースン的な職員がいたとも聞いた。やはり大きな転換の時には、(もちろんお仲間はいただろうが)特定個人の働きによるものが大きいと感じるがどうか?
回答 その通りだと思います。
【船橋市の政策反映に関する朝倉の考え】
船橋市は児童生徒人口に比べ、農業生産者は多くなく、今治市にように、すべての米飯・パン食を有機農産物にするようなことは困難である。しかし、時々でも使用したり、また従来農法の方も含め、船橋産の農産物をできるだけ学校給食に提供し、生産者がその生産物の生産のご努力を給食時間や授業などで児童・生徒に紹介する取り組みが(少し実施されているが)もっと必要だと思う。また、児童・生徒参加のメニューコンテストは、船橋市の給食でもできるはずなので、教育委員会に提案していきたい。