川田龍平議員への手紙(維新の党への参加を見合わせ、原点の無所属に戻ることを切望します。2014年9月12日)

朝倉幹晴

川田龍平議員

「維新の党」(共同代表の1人が橋下徹氏)へ参加を見合わせ、無所属での活動の原点に立ち戻るよう願っています。

朝倉幹晴(船橋市議・無党派、予備校生物科講師) (1995年 HIV訴訟を支える会 2007・2013年参議院選挙支援者)

2014年9月12日

1、19年前(1995年)の出会いと薬害エイズ

川田龍平さん。あなたが予備校生であった時(1995年2月)に出会い、薬害エイズの運動(1995年)を経て、19年間、応援させていただいてきました。
1995年、19歳のあなたが、当時偏見がある中、大学合格直後、実名で被害を訴え、厚生省(当時)を謝罪させ、HIV医療を進展させる条件整備の先頭にたった時、その勇気に共感いたしました。あなたが、薬害をなかなか謝罪しない厚生省前で訴えた

「あなたがた(厚生省職員)は何のために働いているのですか?
誰のために働いているのですか?」

は、「職業倫理」を問いかける訴えとして今も私の心の中にあります。

2、2007年参議院選挙、無所属で参議院議員に選ばれた龍平さん

あれから様々なことがありました。「川田龍平と人権アクティビストの会」立ち上げの際は、世話人の依頼があり名を連ねさせていただきました。
2007年の参議院東京選挙区立候補の「無所属」での立候補においては、当時東京選挙区の5人枠は政党推薦候補の指定席となっている状況の中、同じく全国の無党派の市議と市民ボランティアが集い、5位合格にたどり着くことができました。龍平さんは、2007年の参議院選挙の政見放送で次のように訴えました。

「私は無所属で立候補しています。本来、参議院は、政党の意向に縛られることなく、活動できるところです。私は、NGOや市民のみなさんと共に考え、政策を作り、国政に活かします。薬害エイズの時もそうでした。周りの人たちと一緒になって取組み、その一人ひとりが自ら行動したことで、画期的な裁判の和解を勝ち取ったのです。」(「動けば変わる」(川田龍平を応援する会)より)

私たち、無党派市議や市民ボランティアは、2007年合格当時、龍平議員が任期中の6年間、この姿勢を貫いてくれると思っていました。

3、2013年参議院選挙でも、龍平さん個人を応援させていただきました。
2009年、龍平議員が「みんなの党」に入党した時に、多くの無党派市議・市民ボランティアは裏切られた思いをしました。実際に薬害エイズの運動・2007年選挙の中心を担った私の友人(女性・船橋市民)もそれを機に龍平さんから離れたのはご存知でしょう。私は、その節に完全に離れるのではなく、少し様子を見させていただきました。当時「みんなの党」は、(私と考え方は違いますが)、野党として国政をチェックするそれなりの役割をしていましたし、その中で龍平議員がどう動くか見させていただきました。そして龍平議員が、福島原発事故被害者の立場にたって「子ども被災者支援法」を制定させるように動いたのを見て、「みんなの党」入党に関しては不同意であるが、龍平さん個人は応援し続けようと思いました。2013年選挙では、船橋市内の重要スポットで共に演説し、龍平さんを船橋市民に紹介させていただきました。あなたの2013年合格の票の中には船橋市民の票も少し入っています。「みんなの党」が特定秘密保護法で自民党に同調した時に、それに同意できない議員が、「結いの党」として別れ、龍平議員がその一員に加わったことも、「緊急避難」としては理解できます。

4、橋下徹氏・大阪維新の会の進める地方自治・民主主義無視の姿勢
大阪では異常な事態が進行し続けています。「日本維新の会」共同代表の大阪市長橋下徹氏は、6.4億円の税金の無駄遣いである「出なおし市長選」を行いました。地方自治の基本である地方議会を無視し、大阪都構想の法定協議会の委員を「大阪維新の会」だけで独占し、「大阪維新の会」が3人の離反により過半数割れしても、会派離脱を認めないことで独占状態を維持し、また議会の正式な臨時議会開催要求を市長や知事が無視しました。8月27日は「大阪維新の会」の議長自らが、流会を図るための異常な議事運営を行いました。いずれも会派人数に応じた委員選任や通常の議事運営を行っている船橋市議会含む多くの地方議会では考えられないことです。
自民党・公明党・民主党・共産党・無党派など様々な立場がありますが、その討議・議事を正常に行い、議会制民主主義のルールに基づき最後は多数決を議決として行うのが地方自治の基本であり、それを無視しているのが橋下徹氏を中心とする「大阪維新の会」です。
この1年間橋下徹氏・大阪維新の会の税金の無駄遣い(出直し市長選6.4億円)、その後の民主主義的手続きを無視した議会への対応を機に、かつては10%以上あった「日本維新の会」の支持率は0.7%(9月NHK調査)となり、橋下徹氏と日本維新の会は民主主義を無視する者として、ほとんどの国民から見放されつつあります。
 2013年9月の堺市長選で再選された竹山修身市長が「訣別~橋下維新を破った男~」(角川書店)を著したように、大阪府民からも見放されつつあります。
そんな時、龍平議員を含む「結いの党」が、この橋下徹氏「日本維新の会」への「吸収合併」を決めてしまったことは残念でなりません。
「結いの党」の他の議員の判断については、私が何かいうべき関係にありませんが、少なくとも19年間、龍平さんを見てきた私は、龍平議員が橋下徹氏の傘下にこのまま入ってしまうことはとても残念でなりません。

5、橋下徹氏の他者に対する行動は「傘下にさせる」か「攻撃」かの二者択一?
 この6年間、様々な離合集散を繰り返してきた橋下徹氏は、他者に対して自らの「傘下」に入ることを求めるか、そうでない者に対しては「攻撃」をするかのどちらかの行動を取る点で一貫しているとは感じるのは私だけでしょうか?「橋下共同代表のもとでも自由に発言・行動できる」というのは幻想であり、必ず「傘下」として働くことを要求されるとは思いませんか?「傘下」に入るならば、来る大阪市議選・市長選・府知事選で、議会制民主主義を破壊してきた「大阪維新の会」の支援を当然要求されることになるとは思いませんか?

6、無所属で選ばれた2007年の原点に立ち戻ってほしいと切望します。
 橋下徹氏の大阪市長選任期は来年12月までであり、「維新の党」も寿命もそんなに長くないのではないでしょうか?民主主義の破壊者である「泥舟」に乗らず、再び、2007年の原点に帰って、無所属で活動させることを切に願います。龍平さんが、橋下徹氏の傘下に入ることを、あなたを支持してきた多くの市民が支持するでしょうか?橋下氏は、かつて19年前、被害者支援」を出発点に活動をスタートした龍平さんの出発点とは、正反対の人物ではにでしょうか?

「龍平さんは何のために国会議員になったのですか?
誰のためには国会議員として働いているのですか?」

橋下徹氏のために働くのがいいのか?2007年の選挙時の無所属で選ばれた時の原点に帰って「本来、参議院は、政党の意向に縛られることなく、活動できるところです。私は、NGOや市民のみなさんと共に考え、政策を作り、国政に活かします。」ということで活動をしていくのか?龍平さんは今その選択を迫られているのではないでしょうか?後者の立場の「原点」に帰っていただくことを、19年間、龍平さんを見続けてきたものとして切に願います。「維新の党」への参加を見合わせ、龍平さんが再び無所属に戻って活動される時は微力ながら全力で応援させていただきます。

ps、竹山修身堺市長著「訣別~橋下維新を破った男」(角川書店)を贈呈します。橋下徹氏に屈せず堺市の自治を守った苦闘をお読みいただければ幸いです。