5月25日(土)14時~15時半、講演会「ナイチンゲール生誕204年~現代の医療・社会につながる視座~」@船橋市勤労市民センターにご参加を。

2024年5月8日 予備校講師・船橋市議・「ナイチンゲール生誕200年」著者 朝倉幹晴

講演会「ナイチンゲール生誕204年~現代の医療・社会につながる視座~」のご案内

講演 朝倉幹晴(予備校講師・船橋市議・「ナイチンゲール生誕200年」著者)
日時 5月25日(土)14~16時(前半講演、後半質疑応答&討議)
場所 船橋市勤労市民センター 申込不要・直接おいでください。
参加費 300円(会場・資料代)
主催(あさくら塾(090(4075)5967 info@asakura.chiba.jp))


【開催主旨】
ナイチンゲールは1820年5月12日に生まれ、まもなく生誕204年となります。

1910年8月13日までの90年の人生の中で、様々な医療や社会の改革をすすめてました。
 貴族の家に生まれた彼女は、「社交界に入り紳士と結婚する」「看護に進むことは許さない」という母の願いを拒否し、看護の仕事に進む機会を待ち、20代は家事手伝いをしながら数学・統計学の勉学を続けていました。20代の日記にこう記しています。

「私の辞書にあきらめという言葉はない」

 
 30代前半、クリミア戦争(1853~56年、トルコ・英・仏vsロシア)が勃発した時、
イギリスの戦時大臣シドニー・ハーバートによりクリミア戦争の野戦病院の看護団に
派遣され、「ランプを持った貴婦人」として活躍したことは世界的に有名です。

 しかし、彼女の本当の闘いはクリミア戦争からの帰国後に始まります。
野戦病院は戦闘による負傷の数倍も、不衛生による感染症で多くの兵士が亡くなった
ことの分析をヴィクトリア女王等に報告し、野戦病院の衛生改革、そしてロンドンを
始めとする病院の衛生改革にまい進します。
 そして「看護覚書」「病院覚書」等の著作を発行し、後年の論文「病人の看護と
健康を守る看護」(1893年)では、現在の保健師(自治体看護師)、介護保険につな
がる在宅医療につながる提言をしています。
 講演では、ナイチンゲールの90年の生涯の全体の流れを述べた上で、「ランプを
持った貴婦人」のみが強調され全体像が伝えらなかった歴史的経過も考察します。
 ナイチンゲールの視点は204年後の今も大切です。私たちが彼女が遺したものを
どう引継ぎ、よりよき医療や社会を作るために何をすべきか?
講演・質疑応答後、参加者とともに自由に討議したいと思います。

【拙著】「ナイチンゲール生誕200年~その執念と夢~」紹介

 

 

「はじめに」だけここに紹介します。ご参考にください。

はじめに

本冊子は、フロレンス・ナイチンゲール生誕(1820年5月12日)200年の節目に作成した。看護師・保健師・医療従事者ではなく、市議・予備校講師である私がナイチンゲールに魅せられた点は、その「執念と夢」である。
ナイチンゲールは、病院の衛生改革を「執念」で成し遂げ、そして未来(2000年)の在宅看護(在宅医療)への「夢」を持ち続けた。
正確にはナイチンゲールの行動は「召命*1」から来る「使命感」によるものである。しかし、21世紀の日本の私たちは、ナイチンゲールの生き方から学ぶものを「執念」という言葉に置き換えたい。「召命」「使命感」を感じることがない者でも、仕事にしろ人生の目標にしろ、何かに対する「こだわり」は持っている。しかしそれを貫きやり遂げるためには「執念」が必要である。ナイチンゲールは20代の頃、家族に反対され続けても看護の仕事につく願いをあきらめず、30代でクリミアに派遣され、野戦病院で多くの兵士たちを看護し、死を看取った。その戦慄から、30~40代、旧態依然とした陸軍省に対して、衛生改革を実施するように迫った。自らをクリミアに派遣した政治家シドニー・ハーバートを、その死の直前まで改革に働くように迫ったことを含め、彼女の「執念」が陸軍省、そして一般病院の衛生改革を成し遂げたのである。
同時に、ナイチンゲールは100年から150年先の未来への「夢」を持ち、語り続けた。理想として語られた「在宅看護(在宅医療)」の夢は、西暦2000年を越えた現在、現実となりつつある。
2020年代に生きる私たちが、現在(2020年代)になすべき当面の目標は何か?それを成し遂げる「執念」は?そして2150年から2200年に向けた「夢」をどう語ったらよいのか?150年前のナイチンゲールの生き方を学ぶことが、私たちの生き方のヒントになるかもしれないのである。
2020年5月12日 朝倉幹晴

*1 神に召されて新しい使命につくこと。

 

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