2016年4月25日(月)熊本震災ボランティア訪問(その前後含む)1日目報告(4月30日発信)
2016年4月30日(土)午後6時発信
千葉県船橋市議会議員(総務委員長) 朝倉幹晴
2016年4月25日(月)~28日(木)3泊4日で熊本震災(九州熊本・大分震災)被災地の熊本県を訪れ、26日(火)は熊本市ボランティアセンターのマッチングの下、熊本市立中学校避難所、27日(水)は益城町ボランティアセンターのマッチングの下、益城病院系列福祉施設(福祉避難所)のボランティアをお手伝いさせていただきました。また、ボランティア中、また移動日の25・28日は、熊本のボランティア運営スタッフ、避難者、熊本市役所の各担当者(25日市議会事務局、26日健康福祉関係、28日危機管理関係(立ち話))、熊本市動物愛護センター、熊本県庁受付などでお話をお聞きしました。
またご自身も被災された大変な中、2人の大学時代の友人にご案内いただきました。東京六大学応援団連盟時代の同期の明治大学応援団の角野信一さんには25・26日、熊本市内を、東大教養学部学生自治会役員時代からの友人である阿部淳教授(東海大農学部阿蘇キャンパス)には、益城町周辺を送迎・ご案内いただきました。お二人のご助力なしには今回のボランティア参加&視察はできませんでした。改めて深く感謝いたします。
抜本的・分析的な報告にはもう少し時間を要しますが、GWにボランティア(注、益城町は29日よりボランティアを九州からに限定、熊本市は九州以外からも受け付けています)に行かれる方にも役立てるように、写真を中心に簡潔な報告を以下いたします。
25日~28日の4日間を4号に分けて発信しますが、その原則は以下のようにします。
★写真は時系列にほぼそのまま掲載します。(顔写真などプライバシーに触れ許可をとれなかったものは不掲載)
写真の内容を選別・厳選しようとすると、「重要度の順番」を決めなければならず、また系統・内容別にもするのは内容の整理が必要で時間を要します。したがって、「ピンボケ」「掲載の確認が取れていない顔が映っている写真」以外を時系列に掲載いたします。時刻は「●●時台」と1時間ごとに節目で記述します。時刻は写真には詳細に掲載されているものもあります。
基本的には時系列ですが、25・26・28日、3度訪問した熊本市役所など同じ場所を何度か訪問し写した写真については説明の都合上、時系列を若干崩しています。その他、時系列を前後して掲載するものもあります。
★記載において最低限確認すべき点は、熊本で目で確かめてきた内容、ならびに信頼できるネット情報、そして「熊本市地域防災計画(平成27年度版)」「避難場所開設・避難所運営マニュアル(熊本市、平成25年3月)」(以上2つはダウンロード可能なため船橋であらかじめ打ち出して持参しました)「熊本県万能地図」(避難場所情報掲載、熊本日日新聞社発行、2013年3月2日第三版、28日熊本県庁地下書店で購入)で確認するようにいたします。
[2016年4月25日(月)]
①12時台 羽田空港発、ソラシドエアSNA013便で出発
②午後2時台 飛行機車窓から見えた阿蘇熊本空港周辺(益城町あたり)
③午後2時台 阿蘇熊本空港(益城町)着
④午後2時台 阿蘇熊本空港(益城町)~熊本市内のリムジンバスの車窓より(益城町あたりの様子)
屋根瓦が落ち応急処置(ブルーシートかぶせ)の様子
⑤午後2時台 阿蘇熊本空港(益城町)~熊本市内のリムジンバスの車窓より
今回の災害救援拠点の1つとなったグランメッセ(私は訪問はせず)
⑥午後2時台 阿蘇熊本空港(益城町)~熊本市内のリムジンバスの車窓より
今回、コンビニ、なかでもセブンイレブンが災害対応に強かったと聞いていた通り、複数台が連なったセブンイレブン配送車を見かける。他に医薬品輸送車も見かけました。
⑦午後2時台~3時台 阿蘇熊本空港(益城町)~熊本市内のリムジンバスの車窓より(熊本市中心街近く)
壁に破損のあるマンション(内部の破損の有無・程度まではわからない)、歩道内のごみ集積所の様子
⑧午後3時台 熊本市役所そばバス停から降りた熊本市中心街(中央区)の様子
封鎖された地下道、
熊本城と市電(熊本城と市電のこの風景だけ見ると日常に変化がないように一瞬見えてしまいますが、そうではないことは今後の写真で見てください)
⑨午後3時台 熊本市役所で東大応援部時代、東京六大学応援団連盟で同期だった明治大学応援団の角野信一さん(熊本県宇城市)に再会。この後いろいろご案内いただきました。
⑩午後3~5時台(説明の都合上、深夜に戻ってきた時に撮影したもの、26・28日再訪問時に撮影した写真も含まれています)
★避難者を受け入れた熊本市役所の状況
諸連絡を発信したり、諸情報を集めるために2時間強待機。熊本市役所(中央区役所)自身も被災し、一部通行止め場所もある中、被災者に1階ロビーを開放し、1階受付業務を行うロビーで被災者が寝泊まりできるようにしていました。
●熊本市役所庁舎の被災状況。ただ建物躯体自体はしっかりしておりました。
●1階窓口業務を続けながら、1階ロビーを被災者が寝泊まりできる場所として開放されていました。
●トイレの状況。水は流れるようになったようです。
●市役所前では被災者に対する炊き出しが朝・昼・夜行われていました。
●市役所1階外側のひさしの下には救援物資が積まれ、被災者がいつでも出入りできるように入り口は24時間開放。夜中は市職員が交代で寝ずの見張り番をしていました。
●市役所1階ロビーには何か所か長机といすが置かれ、他市からの派遣職員がパソコンなどの作業を時折、やっていました。私も他市の職員がいない時間帯にここで、パソコンと無線での発信をさせていただきました。
⑪午後3~5時台 市役所14階で行われている市営住宅申し込みに殺到する被災者の方々、他自治体からの応急危険度判定士受入れ
熊本市役所の1階のエレベーター前には、以下「市営住宅抽選受付」「応急危険度判定士受付」の2つの張り紙がされていました。
そしてEV前には約15名(12名ぐらいが市営住宅抽選申し込みの被災者、1・2名が他自治体からの応急危険度判定士、1・2名が移動中の市職員)ぐらいが常に並んでいました。この文章を書いている4月30日(土)時点の最新の熊本市の方針は以下の通りです。
熊本市の市営住宅受入れ(抽選申し込み)方針(4月29日時点、熊本市HPより)
また27日までの申し込みでの倍率は以下の通りです。(28日市役所EV前掲示のものを撮影)
たいへんな倍率です。九州はじめ名古屋市以東政令指定都市も受け入れをはじめています(下記は28日時点市役所張り紙)。(遠隔地になるとはいえ)状況によっては船橋も含めた首都圏やURも検討すべきと感じました。
また応急危険度判定士は、建物の危険度を判定し、避難継続の是非や片付けボランティア活動に入れるかどうかの判断の基礎を作る重要な仕事です。
船橋も含む多くの自治体が判定士を派遣しています。
この2つの重要事業(受入れ)がともに14階で行われ、最重要項目としてEV前掲示をされていると推察しました。
⑫午後4時台 市役所14階展望ロビーからの熊本城の様子
⑬午後4時台 熊本市議会事務局を訪問
緊急時なので、あくまでも短時間、立ち話程度であることを前提に市議会事務局長にお話を伺う。船橋でも311の時そうでしたが、本日「全員協議会」を開催の上、各市議は地元に戻って、地元での活動をしているとのことです。議場が破損して使えないそうです。偶然、防災服を着た澤田昌作議長が通りかかり、角野さんが知り合いということで一瞬、立ち話で挨拶・激励をさせていただきました。
⑭熊本市役所と熊本市ボランティアセンター受付テント(バスの拠点、交通センター広場に設置)を往復
本来、5分ほどの距離であるが、市役所前の建物も被災し、歩道がふさがれた状態であるので、迂回などをして8分ほどかかりました。まず、明日のボランティア参加について、船橋市社会福祉協議会で行く前に災害ボランティア保険に加入済みなので受付が早くできることを確認しました。スタッフの方から「日によっては1000人程度いらっしゃる日もあるので9時受付開始だが、8時ぐらいから並ぶと比較的早く現場につけます」とアドバイスいただきました。
⑮午後6時~ 角野さんの案内で熊本市中心街(中央区)の数軒の飲食店を訪問
午後6時からまで角野さんのご案内で数軒の飲食店を訪問しました。翌日のボランティア活動に支障が出ない範囲でで回りました。数軒の飲食店を訪問したのは、遊びの気持ちではなく、被災場所である熊本市(中央区)の中心街の飲食店の状況把握も兼ねてです。お店の経営者も被災者です。ただ飲食するだけでなく、車中泊のこと、避難所のことなどのリアルな実態をお聞かせいただきました。
以下は、熊本市役所の窓から見た中心繁華街の昼の様子ですが、建物自体は被害がないように見かけ上見えます。
一方、まず熊本市中心街の夜10時の様子が以下の通りです。
平日夜でこれほど店が閉まっていて、これほど人が少ないことは震災前はありえないことと角野さんは言ってました。
お店の通りのいたるところで、震災でお店の中がグチャグチャになった後を片付けた廃棄物が置かれていました。建物自体は表面上は破損していなくても、店の中はグチャグチャになった場合が多かったと聞きました。特に上層階ほど被害が大きかったと聞きました。
また、角野さんは宇城市住民で、震災後、知り合いの多い熊本市中心街を訪れることがなかなかできなかったので、一気に知り合いのお店の経営者の安否確認をしたかったということもよくわかりました。お互い会った時、「なんとか、生きとったけん、心配せーでんといて」が挨拶になっていたのが印象的でした。
熊本市中心街の店は上記写真のように25日(月)時点でまだ半分以上が再開していませんでした。その最大のネックは「お店の中の片付けは終わっても火(ガス)が使えないので料理ができない」とのことです。電気は維持され、水道も25日(月)の時点で中心街の多くでは復活していたが、都市ガスはまだ開通していませんでした。
都市ガスはガス管などのネットワークのガス漏れがないなど全体の安全が確認されないと再開できません。今回の被災地でもプロパンガス(ボンベ)利用地は、料理やお風呂沸かしができてまだ生活を回復しやすかったが、都市ガス地区は、料理・お風呂わかしができないこともあり、建物破損がなくても避難している人もいると聞きます。都市ガスへの過剰な依存も考え直さなければいけないかもしれません。「火を使わない」すし屋チェーン店(24時間営業)の店には、灯りがつき、客が集中していたことが印象に残りました。
都市ガスが使えない状況の中でも、いくつかの小さな店が25日(月)を起点に再開したとのこと。週明けを再開の目標にされていたと推察します。角野さんと訪れたのはそのようなお店だった。
あるお店での出来事を紹介します。私は、上記のようなガスの事情をあまり把握していなく「日本酒熱燗(あつかん)」を注文し、角野さんにガス停止のことを指摘され、恥じ入りました。ところが、電気ポットであらかじめお湯をわかし、そこに日本酒を入れ3分間砂時計ではかって温めて飲めるような容器を用意されていた。その今日(25日)の再開に込めたお店のプロ意識・そして来るかもしれないお客さんへの思いやりを強く感じました。
被災者の方が使っている市役所1階ロビーの布団を使うのは申し訳ないので、椅子に腰かけて仮眠でもしようと夜、静かに静かに音を出さないように市役所(ドアは被災者のため24時間開放・市職員が輪番で夜の番)に戻りました。ただどうしても疲れていたので困っていたところ、被災者の方々はほとんど眠られている中で幸いマットと毛布が数組余っているとのことで、夜の番担当の市職員の方がご厚意で貸してくださいました。皆様の一番じゃまにならない隅の隅で午前5時に起きるまで仮眠させていただきました。翌日、市の課長にその旨ご事後報告しご理解いただきました。ご対応いただいた熊本市の方に感謝いたします。(他市からの派遣職員も同じく市庁舎で仮眠された方はいらっしゃると聞きました)
(25日はもう予約できなかったため、最悪「屋根のあるお店で仮眠できればよい」と思い、25日行きを決行しました。26・27日は熊本カプセルホテル(下記)が予約でき、こちらに宿泊しました。)