2016年4月28日(水)熊本訪問4日目(熊本市ボランティアセンター学生スタッフのお話し伺う・熊本県庁・帰路)報告(5月5日発信)

●2016年4月28日(木)報告             (5月5日(木・祝)発信)

4日間の訪問でわずかなことしかできませんでしたし、熊本の方には多々ご負担をおかけした所もあり申し訳なく思います。それでも熊本の現状を知る人が増え、震災ボランティアが増えていくことで、熊本の方々を少しでも応援していく一助になればと願い発信します。訪問4日目(28日(木))、福岡空港からの帰路につくまで、熊本市役所・熊本県庁を訪問しながら、見聞き調べたことを時系列順に記します。

①午前11時 2泊した熊本カプセルホテルを後にチェックアウト

チェックアウト前に、4月30日と5月7日の飯田橋と船橋での報告会の案内を作成、FB・ツイッター・公式サイトに発信しました(熊本市内は無線環境は安定していました)。

②11時台 熊本市役所で最後の調査 災害時の飲料水確保体制について。

この情報は県庁での情報と合わせてのちに報告します。

③12時台 熊本市ボランティアセンター受付テントで、受付ボランティアの学生から参加の経過・動機・思いをお聞きする。

1日目の報告で述べましたように、熊本市ボランティアセンターの受付テントでは、GW明けまで休講となった市内3大学(熊本大学・熊本県立大学・崇城大学)学生や高校生が、受付ボランティアをしています。そのボランティアに参加した学生の思いを聞きたいと、センター本部テントの方に依頼し、ご本人の了解を経てお話を伺わせていただきました。

熊本大学工学部情報電気電子工学科4年生の狩野悠貴さんです。以下は私の聞き取りの要約です。

160428ぼらインタビューキャプチャ

Q「震災直後からボランティア参加はどんな流れでしたか?」

A「下宿で被災したが、大事にはならなかったので、17・18日は近くの小学校の避難所を手伝いました。その後、北九州に2日ほど一時避難したのち、中学校避難所の手伝いを始めたところ、災害復旧支援団体『熊本大学 熊助組』をやっている友人からLINEでこの本部受付スタッフの手伝いの話があり、それ以降こちらを手伝っています。」

Q「災害復旧支援団体『熊本大学 熊助組』とは?震災前にはどのような活動をされてきたのですか?」

A「私もメンバーではないからよくわからないですが、前からあったみたいです」

(以下は私が後日、ネットで調べた資料です)

災害復旧支援団体「熊本大学 熊助組」の紹介(2011年時点)

九州北部豪雨災害(2012年7月)に対する熊本大学熊助組の取り組み

(FBページでは現在の活動の状態が報告されています)

 

Q震災ボランティアセンターの開設以降のボランティア受け入れ数は?

A 概数ですが、 21日(木)にテント設営。22日(金) 約1300人 23日(土)約1000人

24日(日)約900人 25日(月)800人です。

Qボランティアへのニーズは最初からあったのですか?

A 実は初日22日(金)は1300人来ていただいたにもかかわらず、まだニーズが少なかったので、『ボランティアに手伝ってほしい内容がありましたらご連絡ください』という趣旨の市民への呼びかけチラシを作り、参加ボランティアに市内のポスティングしていただきました。その効果もあってニーズも増え、今は1000人ぐらいのボランティア参加があっても、必要なニーズはあります。(ただ中央区・東区・南区はチラシが行き届きましたが、北区・西区はまだ不十分なので今後ニーズの把握やそのためのチラシ配布を考えていかなければと思います。)

Q、GWでは何人ぐらいボランティアが来ると予測されていますか?

A、通常が800~1000人なので、1500人はいらっしゃるかもしれないとみています。

Q、仮にGWに1500人×10日間いらしても、そのボランティアに働いていただくニーズはありますか?

A、はい。あります。

Q、GW終わると、3大学の学生は授業再開されるわけですが、その後はどのような形でかかわっていきますか?

A、わかりません。土日などなんらかの形で関わる可能性はありますが未定です。だから、GWまでは私たち学生ががんばろうと思っています。

Q、受付ボランティアの働く時間は?

A、一般ボランティアの受付開始は9時なので私ども受付スタッフは午前8時集合、午後4時解散が基本です。初めて来る受付ボランティアは7時半に来ていただきガイダンスします。

Q、3大学どうし仲良くなりました。

A、仲良くなりいい雰囲気です。

Q、ボランティアで学んだことは?

A、私は情報分野をメインで学んでいます。あまり人の組織づくりの体験がなかったので、今回人が集まって組織を作って運営していく生の学びができたと感じています。

(狩野悠貴さんありがとうございました)

④交通センター(バス拠点、ボランティアセンターテント設営地)に残る震災の爪痕

ボランティアセンターテントの設営されている交通センター(バス発着拠点)は、28日時点で本数が間引かれているとはいえ、阿蘇熊本空港・福岡空港からの直通バスを受け入れ、公共交通でのボランティアアクセスの拠点として機能しています。しかしながら、全く無傷なわけではありません。一部歩道が遮断され、大きく迂回しなければいけないことに震災の爪痕が残っています。迂回路でバス停にアクセスした上で熊本県庁に向かいました。

160428通行止めキャプチャ 160428通行止め2キャプチャ

⑤午後2~4時台 熊本県庁訪問

バスで2時少し前につき、4時25分の福岡空港行きバス「ひのくに号」までの2時間で、昼食込みでいろいろ調査させていただくことにしました。

県庁バス停近くの石垣の破損

160428県庁2キャプチャ

熊本県庁。建物はしっかりしていました。

160428県庁3キャプチャ

熊本県庁1階ロビーも熊本市役所1階と同様、避難所となっていました。この時間にいらした被災者は10人程度(敷かれた毛布の数から考えると実際には夜には30~50人戻られると想像できる)でしたが、受付の方の話では、当初はロビー全体が避難所となり、県職員が交代で夜の番をしたとのことです。受付の脇にはその時使った毛布が残っています。

160428県庁避難所キャプチャ 160428県庁18キャプチャ

 

体調を崩された方や特別のニーズのある方に別室(教養室)が確保され、医師の診療も受けられます。

160428県庁6キャプチャ 160428県庁7キャプチャ

また2基ですが、密閉空間で寝られるような段ボール型組み立て式カプセル寝室(カプセルホテルのカプセルとほぼ同じ広さ)も設営されていました。ここで休まらない方もおられるでしょうが、ここで休みが取れる方もおられると思います。26日私が伺った熊本市立中学校避難所にはありませんでしたが、各避難所に少しずつ配置したほうがよいと感じました。(ただスペースをとるので避難所にある程度のスペース的余裕があることが前提でしょう)

160428県庁13キャプチャ

ロビーの一角ではくまモンが見守ってくれています。

160428県庁くまもんキャプチャ

⑥県庁訪問2 新館1階県政資料室

地震に備えるための自由持ち帰り資料が、震災前から並べられていたようです。また阿蘇の土砂崩れの対策資料もありました。これらの資料が今回活かされていくことを願います。

160428県庁資料室キャプチャ 160428県庁資料室2キャプチャ

熊本県の大きな仕事としての水俣病の相談業務は続けられています。

160428水俣病キャプチャ

支援物資も届いています。

160428備蓄物資キャプチャ

⑦県庁訪問3 受付の近くで、住民のニーズを垣間見、合間に受付の方からお話を伺う

160428県庁受付3キャプチャ

まず、県庁に出入りする支援職員ですが、私が見かけたのはほとんどが国の省庁の職員でした。各職員は胸に省庁のわかるゼッケンをつけており「内閣府」「厚生労働省」「国土交通省」を主に見かけました。次に他県のゼッケンの職員です。比較すると熊本市役所では他市職員が多く、役割分担されていることがよくわかります。

次に、受付に訪れる市民の相談内容ですが、ほとんどが被災者受け入れの県営住宅抽選の申し込みです。ただ、県営住宅抽選応募可能なのは、熊本市民以外の熊本県民です。そのことが十分行き届いていないのか、熊本市民の方が、県営住宅申し込みしようとして訪れ、受付でそれができないことを知らされ、熊本市役所まで市営住宅抽選申し込みに行くように促されていました。もっとその点の広報を強めるべきと感じました。

160428県庁9キャプチャ

さて、受付の方々から様々な話を窓口対応がない時間に伺いました。たとえば、水のことを中心に伺ったことを簡単に要点だけ要約すると以下のようになります。

・熊本市の場合、避難場所指定の公園の地下などに備蓄があり、ある程度対応できた。もちろん場所によっては行き届き方の差はあった。

熊本市避難場所

熊本市コールセンター(備蓄について)

・ネットで報道された学校校庭へ水を求めるSOS文字があった件は、もともと避難場所・避難所指定されていなかった私立高校などが、学校長の判断で自主的に被災者を受け入れたことに伴う事態と思う。ただ、今回を教訓に今後は検討が必要。

・学校の貯水槽の水の利用については、よくわからないが、上記備蓄と合わせて利用されたのではないか?(これは熊本市の職員もほぼ同じお答えだったので、後日落ち着いたのち再度問い合わせてみます)

・実は湧き水がある場所があり、それを知っている人が水を確保できた。

・ただ熊本市以外の自治体では避難場所の密度が低く、備蓄などの配給に困難があったのかもしれない。

・熊本市以外の自治体でも、災害対応はコミュニティごとに違う。たとえば阿蘇など多くの災害を何回も体験してきた場所の中で、昔から住む住民同士の集落の場合、助け合いや分配がきっちりしていて今回も対処できた。ただ新しい住民が多く、コミュニティ形成が不十分だったところでは困難がより大きかったと聞いている。

⑧県庁より高速バス「ひのくに号」→福岡(天神)→地下鉄空港線→福岡空港

最後に20時25分発のSKY024で羽田に戻りました。

160428帰りキャプチャ

熊本でお世話になった方々、ありがとうございました。熊本震災に対するボランティアも含む震災支援の機運が高まることに一助にこの報告がなることを祈念しながら、4日間の報告を終わります。お読みいただきありがとうございました。

2016年5月5日午後6時 千葉県船橋市にて 朝倉幹晴

(4月25~27日報告お読みでない方、こちらからお読みいただけます。)

熊本訪問報告1日目(4月25日) 熊本訪問報告2日目(熊本市震災ボランティア)(4月26日)

熊本訪問報告3日目(益城町ボランティア・熊本市動物愛護センター状況把握)(4月27日)