原本2016年4月26日(火)熊本震災ボランティア訪問2日目(熊本市ボランティア)報告(5月4日発信)

●はじめに(この部分は4月30日に報告第1号(4月25日)を発信した時にしたためた基本姿勢です。再度掲載しますが、報告第1号と同内容ですので、報告第1号をお読みいただいた方は同じですのでお読み飛ばしください。

2016年4月30日午後6時発信 (総務委員長) 朝倉幹晴

2016年4月25日(月)~28日(木)3泊4日で熊本震災(九州熊本・大分震災)被災地の熊本県を訪れ、26日(火)は熊本市ボランティアセンターのマッチングの下、熊本市立中学校避難所、27日(水)は益城町ボランティアセンターのマッチングの下、益城病院系列福祉施設(福祉避難所)のボランティアをお手伝いさせていただきました。また、ボランティア中、また移動日の25・28日は、熊本のボランティア運営スタッフ、避難者、熊本市役所の各担当者(25日市議会事務局、26日健康福祉関係、28日危機管理関係(立ち話))、熊本市動物愛護センター、熊本県庁受付などでお話をお聞きしました。

またご自身も被災された大変な中、2人の大学時代の友人にご案内いただきました。東京六大学応援団連盟時代の同期の明治大学応援団の角野信一さんには25・26日、熊本市内を、東大教養学部学生自治会役員時代からの友人である阿部淳教授(東海大農学部阿蘇キャンパス)には、益城町周辺を送迎・ご案内いただきました。お二人のご助力なしには今回のボランティア参加&視察はできませんでした。改めて深く感謝いたします。

抜本的・分析的な報告にはもう少し時間を要しますが、GWにボランティア(注、益城町は29日よりボランティアを九州からに限定、熊本市は九州以外からも受け付けています)に行かれる方にも役立てるように、写真を中心に簡潔な報告を以下いたします。

25日~28日の4日間を4号に分けて発信しますが、その原則は以下のようにします。

★写真は時系列にほぼそのまま掲載します。(顔写真などプライバシーに触れ許可をとれなかったものは不掲載)

写真の内容を選別・厳選しようとすると、「重要度の順番」を決めなければならず、また系統・内容別にもするのは内容の整理が必要で時間を要します。したがって、「ピンボケ」「掲載の確認が取れていない顔が映っている写真」以外を時系列に掲載いたします。時刻は「●●時台」と1時間ごとに節目で記述します。時刻は写真には詳細に掲載されているものもあります(掲載されているものはデジカメ、掲載されていないものはiPhoneでの撮影)。

基本的には時系列ですが、25・26・28日、3度訪問した熊本市役所など同じ場所を何度か訪問し写した写真については説明の都合上、時系列を若干崩しています。その他、時系列を前後して掲載するものもあります。

★記載において最低限確認すべき点は、熊本で目で確かめてきた内容、ならびに信頼できるネット情報、そして「熊本市地域防災計画(平成27年度版)」「避難場所開設・避難所運営マニュアル(熊本市、平成25年3月)」(以上2つはダウンロード可能なため船橋であらかじめ打ち出して持参しました)「熊本県万能地図」(避難場所情報掲載、熊本日日新聞社発行、2013年3月2日第三版、28日熊本県庁地下書店で購入)で確認するようにいたします。

●2016年4月26日(火)報告

①朝6時台 熊本城周囲を見る(東側石垣の崩壊)

160426熊本城立ち入り禁止キャプチャ 160426熊本城石垣破壊キャプチャ

②朝6時台 熊本城周囲を見る。熊本城そばの熊本大神宮の被害状況

160426熊本大神宮キャプチャ 160426熊本城周囲倒壊キャプチャ

③午前8時台 熊本市ボランティアセンター受付テントでの受付開始(午前9時)に向け、午前8時に受付待ちの列に並び始めました。

熊本市ボランティアセンター受付テントは「交通センター」という、阿蘇熊本空港あるいは福岡空港からのバスが出ている終点であり、熊本市役所・熊本城から徒歩5分の場所にあります。そしてこの受付テントで受付に当たっているスタッフボランティアは、震災でGW明けまで休講となった熊本市内3大学(熊本大学・熊本県立大学・崇城大学)を中心とした大学生、一部高校生であり、40~50名のスタッフがいます。また熊本市内のボランティアのニーズの多くは、まだ建物危険度検査が終了していないこともあり、避難所運営を含め、建物の危険度がそれほど高くないところからきています。「受付場所が公共交通でアクセスできる」「受付ボランティアスタッフが多い」「ボランティア活動の場所の危険度が低い」という3条件がそろっているゆえに、毎日600~1300名のボランティア受け入れがGW期間も含めて可能となったのです。(私が27日に伺った益城町ボランティアセンターがGWにボランティアを熊本県内に絞り、県外をお断りしたのはこの3条件がそろわなかったからです)。

160426ボランティアセンター朝キャプチャ 2160426ボランティアセンター朝キャプチャ

160426ボランティア朝の並びキャプチャ

④災害ボランティア参加の基本的な服装

防災服IMG_0986

災害ボランティアは、天候条件やニーズの多少によって、室内・室外などに振り分けられます。私は今回、26日(熊本市)27日(益城町)とも室内系になりました。それはまだ熊本震災での建物の危険度判定が完了していない段階(GW中完了目標とのこと)で、ボランティアを建物片付け系に派遣することに対してボランティアセンター側が慎重になっていたとの話を現地でお聞きしました。

ただ、当初は、鬼怒川周辺水害の時と同じく、室外・建物片付け系のボランティアに行く可能性も推定し、その対応の服装で行きました。室外・建物片付け系ではけがを防ぐため、長袖・長ズボン・長靴(あるいは安全靴)・手袋が基本です。長靴・運動靴の場合は、釘の踏み抜き事故を防ぐために金属製中敷きが必要です。更に危ない場所ではヘルメットも必要です。船橋市議会では、災害時用の「防災服(長袖・長ズボン)・ヘルメット・安全靴」が支給されるので、今回それを着用しました。

身体の危険性のない普段の船橋市議会の会議では、半袖を基本としていますが、災害時にはこの防災服・安全靴が基本となります。

④9時台 受付開始

受付を早く終了させ、ボランティア現場に早く行くためには、事前にお住いの市町村の社会福祉協議会(ボランティアセンター)で災害ボランティア保険登録しておくのが望ましい。

受付では名前などを記入するが、事前にボランティア保険(災害Aか災害B)に登録しておかないと、その手続きをその場で行うため、別の列に並ぶことになり、現場に行く(その前の説明を聞く)のが遅くなります。ボランティアセンターとしてはボランティア保険なしに現場に派遣するわけにはいかないからです。これは、私が昨年秋、鬼怒川周辺水害後のボランティアに7回通って体感した点です。たとえば船橋市社会福祉協議会(ボランティアセンター)は船橋市役所の近くの福祉ビルにあり、災害A保険は年間430円です。災害保険は年度ごとなので、3月以前の保険しか加入していない方は再加入が必要です。なおB保険のほうが若干高く補償も高いですが、初心者はAで十分です。

↓私は熊本行き前の金曜日、4月22日に船橋市ボランティアセンター(社会福祉協議会)で登録を済ませましたので、今回の受付はスムースでした。

ボランティア保険IMG_1121

⑤9時台 ボランティアセンターテントでの受付と現場派遣までの流れ。

160426ボランティア流れ1キャプチャ 160426ボランティア流れ2キャプチャ

テント内に張りだしていたこの流れの通りです。「マッチング」においては5~10人ぐらいの単位で、同じ場所に派遣されることが多いのですが、だいたい友達2人・3人で来ている方と、個人参加の方が多いので、5人が「友達どうし3人+個人2人」という感じになります。その場合は「グルーピング」で自己紹介(名前とどこから来たかぐらい)・ボランティア経験の有無などを出し合い、リーダーとサブリーダーを決めます。

私は「ある市立中学の避難所の運営5名派遣」のマッチングに応募しました。5名は2人が友達、あとは個人の形でした。流れがよいとここは30分~45分で終わります(私の今回もそうでした)。ボランティア経験者が私だけだったのでリーダーとなりました。ボランティア活動時間は、10時すぎ(9時受付開始ですが、列並び・マッチングなど・移動を含める)スタート、3時までに終了、4時までにボランティアセンターテントに戻ってきて報告。つまり10~3時(昼食休憩1時間あり)の実働4時間です。少ないと思われるかもしれませんが、善意で集まった素人中心のボランティアにけがや事故や無理がなく働いていただく時間としては適正と感じます。(鬼怒川周辺水害ボランティア時に実感)

せっかく意気込んできても、「人がたくさん集まる」「9時直前に来たために列の最後に並ぶ」「ボランティア保険未加入(加入手続き必要」ともなると、現場に行くのが11時台・12時台になってしまうこともあり「実働2時間」となることもありますので、やる気マンマンで日程調整可能な方は、「朝8時には並びはじめること」「できれば人が集まる休日を避け平日に行くこと」「事前にお住いの自治体で災害ボランティア登録をお済ませになること」をおすすめします。

⑥10時台 ボランティアセンター(社会福祉協議会)のバスで、数グループが、現場まで送迎される。

バスの中でグループ内の交流をしながら、グループリーダーに渡された資料に目を通しました。、市内の避難所の避難者数一覧があり、多いところは1000人、少ないところは10人というばらつきがあります。避難者数は日々変化しています。基本的には自宅に戻られるか、友人・親戚を頼って市外・県外(たとえば福岡市・北九州市あたり)に行かれる方が多く、避難所の避難者数は減る傾向にあります。

またプライバシーのない避難所を避け、避難所の学校の校庭など車中泊を続けている家族もいるとのことです。

⑦10時台 ある中学校の避難所に着く~被服室の開設された避難所と電源・無線環境~

バスが中学校に着いた瞬間、避難所にいる小学生2人が迎えにきてくれました。避難所にいる児童・生徒たち自身が運営の一端を担っています。

その中学校は体育館は基礎部分は破壊され危険なため使えません。

160426体育館破損2キャプチャ 160426体育館裏手破損2キャプチャ 160426体育館裏手破損キャプチャ

体育館以外の場所にも亀裂が入っていた場所もあります。

160426城西破損キャプチャ

それでは、どこに避難所を開設したかというと「被服室」(家庭科室の一種)です。この避難所の避難者数は30名程度(世帯は10世帯程度)のため、被服室で寝るスペースは確保できるとのことです。

160426被服室キャプチャ

現在、多くの家庭でも携帯電話やスマホなどで連絡を取り合い、その検索機能で情報を入手するため、携帯やスマホの充電環境や無線環境は重要です。今回の熊本震災では電気は大丈夫だったのでコンセントがあれば充電できます。被服室は、各グループで「アイロンがけ」実習をするため、天井からぶら下げた電源が多数あり、多くの家族の充電のニーズにこたえられます。

↓避難所(被服室)に設置された無線環境と防災ラジオ

160426ドコモキャプチャ

⑧10時台 避難所の入り口に2か所掲示された「女性への性暴力防止・相談ポスター」

160426DV防止キャプチャ

悲しいことですが、避難所・避難先で女性への性暴力が発生する例があるとのことです。その防止啓発の意味(そして残念ながら起きてしまった場合の相談窓口明記)の意味も含めて、入り口2か所にこの掲示がされていました。

この避難所内にはこの日(26日)時点で約30名登録されているとのことですが、実際に11時前に訪問した時いらしたのは、大人4名、子ども7名(小学生5、中学生2)ほどでした。他の人は、仕事や家の片付けなどに行ったそうです。子どもたちは校庭で遊ぶ(といってもボール遊びのような本格的なことはできず、歩きまわって時々スキップをする程度)子が3人ほど、毛布の上でDSなどゲームをしていたりする子が4人ほどです。

⑨午前11時台 熊本市の避難所運営マニュアルと私が伺った避難所の実際

私は、今回、熊本に伺う前に、船橋にてインターネットよりダウンロードできる

「避難場所開設・避難所運営マニュアル」(平成25年3月 熊本市発行)をプリントアウトし読み持参しました。

避難場所開設・避難所運営マニュアル(平成25年3月 熊本市)

熊本市避難所運営IMG_0013

今回の避難場所・避難所運営がどうであった(どうである)か?改善すべき点は何か?-などについては、熊本市職員・熊本県職員・社会福祉協議会・ボランティアセンター・熊本市議会・熊本県議会などで本格的にデータを集めた上で分析すべき話です。したがって、私も少し気づいた点があっても基本的には(狭い情報・体験からの判断でありその適否もわからない)その場で当事者(避難者や熊本市職員)に言うことは控えるべきと考えています。安全なところから来た者が、危険な緊急事態の中で苦闘しながらも(苦闘のゆえに)どうしても行き届かない点が生まれてしまうことに対して、緊急事態の中にいる現地の方々に何か意見を言うのは失礼と思っています。逆の立場だったら、私もいい気持ちはしないでしょう。ただ、今、直接言う形ではなく、また今回の事態を経て、今後のこととして「改善を検討すべき可能性の1つ」として、この報告の中でほんの少し「改善を検討すべき可能性の1つ」を少し述べるかもしれません。1つの参考意見としてご覧いただければ幸いです。

「避難場所開設・避難所運営マニュアル」(平成25年3月 熊本市発行)p18・19の関連部分を引用(太字は私による)します。

「第3章 避難所運営委員会による運営(展開期・生活期)

第1.避難所運営委員会

展開期以降の避難所の運営は、避難者の共助・協働の精神と自立再建の精神に基づき、避難者(住民)を主体とする避難所運営委員会が担います。(添付図略)

1 避難所運営委員会の設立

本市では「熊本市地域防災計画」に基づき、災害の発生など住民の方が一時的に避難する必要がある場合、一時避難場所を施設管理者(開設責任者)が開設し、区対策部等から派遣される職員(管理責任者)が運営・管理など必要な業務を行います。住居やライフライン等の被災状況などにより、避難生活の長期化が予測される場合、避難所の運営は、避難者の共助、協働の精神と自立再建の原則に基づいて、市、地域、避難者が相互に協力・連携することになります。そのため、主体となる避難所運営委員会(以下「委員会」という。)を設立し、避難場所での生活・規則などのルール作りや役割分担などについての話し合いを行い、避難所生活の仕組みを確立することになります。

2委員会の構成

委員会は、委員長(リーダー)、副委員長、各運営班の班長、居住組長、施設管理者、管理責任者によって構成されます。男女それぞれの視点を取り入れるため、男女共同で運営するように努めましょう。避難所でボランティア組織が一定の役割を担っている場合にはオブザーバーとして参加してもらいましょう。

以下略」

代表的な名称が「開設責任者」「管理責任者」「避難所運営委員長(リーダー)」と3つありますが、「開設責任者」は、具体的には学校長や施設長、「管理責任者」は避難所に派遣された市職員(多くは日ごと時間ごと輪番)、「避難所運営委員長(リーダー)」は、マニュアル上規定はありませんが、避難者自身の中から選ばれることが想定されています。この中で、「開設責任者」「管理責任者」は避難所にずっといるとは限らず、)、「避難所運営委員長(リーダー)」が開設時からずっと基本的に24時間居続けている者となり、もっとも実情を把握いる可能性が高くなります。ボランティアセンターでは、派遣時には「避難所で『責任者』の方にやるべき作業を指示してもらってください」と言われ、責任者がこの3者のだれを示すかを明示されませんでした。

実際に避難所に行ったところ、開設責任者(学校長)はその場にはいず、管理責任者とみられる入り口の市職員に聞いたところ、「避難者のニーズ・やるべき作業のことはこの方に聞いてください」と避難者の中の年配男性を紹介されました。この方が「避難所運営委員長(リーダー)」なのかは名乗られませんでしたが、明らかに残っていた大人の方々の雰囲気から、その方がリーダー的な存在だと感じられ、指示を仰ぎました。この避難所は先に述べたように約30名、昼に残っている避難者の大人4名(子ども7名)というこじんまりして、和気あいあいしたアットホームな雰囲気で、そのリーダー的な存在の方への他の大人の信頼・委任が雰囲気で感じられましたので、その方の指示に従い、午前中は、体育館脇のトイレの掃除をしました。あとからほかの方から伺ったところ、このリーダー的な方は、もともと高齢者福祉施設の運営の仕事をされてきた方であることに加えて、3世代で避難してこられていて、お子さん(女性)とお孫さん(小中学生)がいらっしゃることで、男女それぞれ・世代ごとの気持ちを把握されやすい方だったようです。この方の配慮もあって、昼食には炊飯器で温かいご飯と食事が用意され、子どもたち(その中にはお孫さんも含まれる)が、自主的に昼食の準備や片付けを担い、いい運営をされていることが感じられました。昼はご厚意で、ボランティアにも温かいご飯と食事をいただきました。(一応、ボランティアは昼食は自己調達が原則なので、私も含めて各自昼用の軽食は持参していました。)

ただ、100~1000人の避難所となると、このような個人の方の能力・姿勢だけでうまくいくとは限らず、マニュアルにあるように運営班・居住組などの様々な代表が食事時に運営会議で意見調整することが必要となるのでしょう。

⑩午後1時台~2時台 午後は校庭の陥没個所と水たまりの砂埋め作業

避難者のリーダー的存在の方は、「午前のトイレ掃除だけでいい」とのことでしたが、午後は、市職員(管理責任者)から、「校庭に陥没個所と水たまりがある。それを校庭の脇にある砂場の砂で埋めてほしい。」と指示され、それを行いました。鬼怒川水害後ボランティアで活躍した「ネコ車」で今回も作業しました。

160426校庭砂キャプチャ

⑪この避難所への他の支援や備品

26日時点で、この避難所では、水道水が復帰していました。しかし、まだ断水していた時から他自治体からの給水車が支援に来ていたこと、学校外から近隣住民が水を汲みに来ることもまだあることから、豊中市から応援の給水車が配置されていました。また夜用の投光器もありました。

160426給水車キャプチャ 160426投光器キャプチャ

⑫昼下がりの「アナ雪」の歌声

熊本震災後は悪天候な日も多くありました。その場合、土砂崩れなどの二次災害の危険性も心配しなければなりません。ただこの日26日は、非常によい天気、避難所もこじんまりとしていて、昼は大人4人、子ども7人しかいないこともあり、まさに「昼下がり」という雰囲気の昼でした。食事後、校庭内を歩いていると、校庭の隅のほうで、女性(お母さん)が一人「アナ雪」を歌っている歌声が聞こえてきました。発災後(避難後)10日目の暖かい昼下がり、この方がどのような気持ち・どのような経過で「アナ雪」を歌われていたかわかりません。しかし、いろいろな思いと経過の中に歌われていたこの歌声に、多くのことを思いめぐらせました。

⑬2時台~ 避難所内で自主的な学習サポート開始

熊本市内では、多くの高校も大学がGW明け(5月9日・月曜日)授業再開を前提に動いています。小中学校は一部、5月2日(月)再開、多くが5月9日再開を目指して動いていますが、避難所機能が高かったり、また校舎の損傷・危険度が大きい場合は、それ以降になる可能性もあるようです。休業した分は、夏休みを短くすることで補てんする方針とのことですが、精神的な不安のサポートや、どうしても残ってしまうかもしれない学習の遅れなどは、やはり学習サポートで支援していくべきでしょう。

偶然ですが、私の伺った避難所では千葉県在住で、熊本に実家があってたまたま帰省していた時に震災にあい、英語を教える仕事の経験者がいらして、午後3名の子どもたちを集めて、避難所の畳の上で英語の学習をしていました。子どもたちも久しぶりの勉強で熱心に聞いていました。小中学生のお母さん(アナ雪を昼下がりに歌われていた方)とお話ししたところ、やはり子どもの勉強は不安だし、学習サポートはありがたいとのことでした。

たぶん避難所でこのような取り組みがなされている場所は少ないでしょうが、今後はこの取り組み(学習サポート)を強める必要があり、GW後も再開できない小中学校の児童・生徒には、ボランティア派遣の内容の1つに学習サポート、あるいは(運動もせずにいる)子どもの遊びの相手も加えたほうがよいかもしれません。このことはボランティア終了後の報告で、ボランティアセンターに参考意見として伝えました。

⑭2時台~ 避難所の子どもたちに「ふなっしー人形」

26日時点では、全体的には支援物資は足りているということで、逆に支援物資の中で、多すぎるものや賞味期限切れが迫ったものをボランティア参加者に配っているところもあります。(もちろん、場所によって、ものによっては不足もありうるので、その場合には、正確な必要数を把握し、まず他の避難所や救援物資拠点から移動させる必要があるでしょう)。したがって、これからは物資ではなく、(GW明けにボランティア参加者が減り、逆に建物危険度判定が終わり、建物片付け系にボランティアへのニーズが高まるとき)、人的なボランティアでの働きが求められると思います。「救援物資は基本的に多くの場所では足りているし、私の役割は、ボランティアのほうだ」と事前の調べで私なりの考えたので、今回、私は救援物資を持っていきませんでした。ところが、意外なものが「精神的」な支援になるものです。

熊本の中心街に壁面全面にくまモンの描かれたビルがあるくらいですから、

160426熊本大通り朝キャプチャ

熊本の子どもたちを一番励ますのは、くまモンの活動再開でしょう。

まもなくくまモン活動再開(避難所慰問)(5月4日産経新聞)

ただ、26日時点ではくまモンは活動休止中でした。そんな折、上記の英語学習サポートを見ながら、私たちボランティアが荷物を持って挨拶して帰路につこうとしたとき、学習サポートの英語の講師(千葉県民)と子どもたちが、私のかばんにぶら下がっていた「ふなっしー人形」を発見して、学習サポートが一時中断され、たちまち人形が大人気となりました。そんなに喜ばれるならと避難所の子どもたちにプレゼントしました。下記は避難所の畳の上に置いたふなっしー人形です。くまモンとふなっしーはライバルでもありよき友でもあります。ともに熊本の子どもたちを励ましてほしいと思います。

160426畳とふなっしーキャプチャ

⑮3時台~ バスを使って、ボランティアセンターテントに戻り活動報告、その後グループで記念撮影

160426ボランティア仲間キャプチャ

本当は5人でしたが、1人は事情で早く帰られましたので、4人で撮影です。私の右はボランティア初参加で大阪からいらした28歳の男性。左の2人は、熊本市内の高3女子です。彼女たちは、自らも被災者ですが、ご自宅の被害が大きくなく、また学校がGW明けまで休みとのことで、学校や先生に指示されたわけでなく、自主的にボランティアに参加したそうです。小中学生の学習の遅れや心のケアなどフォローすべき点もある一方、今回、避難所運営では小中学生が、全体ボランティアでは高校生・大学生が多く参加しています。学校での座学の勉強では経験できなかった貴重な勉強を若い世代が自主的にしたことに、これからへの希望を持ちたいと思います。

⑯午後4時台~ 熊本市役所健康福祉局訪問

メールにて、東大応援部時代の同世代のチア(バトン)だった保健師がGWに保健師として支援に行けるという連絡をいただいたので、その受入れのセッティングのため短時間話をしました。大変な中、設定いただいた市担当部に感謝します。(これを書いている5月4日現在、彼女は熊本市で保健師活動中です)

⑰午後5時台~ 中心街から熊本大学医学部・熊本大学医学部付属病院への川を渡る橋の欄干の一部崩壊

熊本市役所での話終了後、中心街から川を挟んだ向こう岸にある熊本大学医学部と附属病院を訪れました。元生徒や、知人の息子さんが医学部在籍中ですが、GWまで授業休業、その分は夏休みを減らして行うとのことです。ボランティアに参加した医学生も多かったとのことです。渡る橋はしっかりしていましたが、欄干の一部は崩壊しています。

160426熊大付属病院キャプチャ 160426熊本医学部橋キャプチャ

病院の建物はしっかりしていましたが、全く被害がなかったわけでなく、一部の天井ははがれおち、コーンでその下を患者が通らないに注意喚起している場所もありました。

160426熊大医学部付属病院キャプチャ 160426熊大病院天井壁崩落キャプチャ

医学部(医学教育棟)の入り口の様子

160426熊大医学部キャプチャ

学生時代、私は東大自主講座「公害原論」(宇井純工学部助手主催)に出たこともあり、熊本大学医学部の原田正純助教授らが、水俣病原因究明を行い、患者家族の立場にたって活動されてきたことを学び、予備校の特別授業などでもそれを語ってきました。だからいつかは見たいと思いながら、この日まで訪れたことはありませんでした。つまり、熊本大学医学部を訪問したのは生まれてはじめてです。このようなこと(震災ボランティア)で訪問することになるとはまさか思っていませんでした。(なお、熊本県訪問は学生時代後半の1986年に、水俣病を学ぶため、市民団体を主催する「水俣生活学校」で訪れて以来30年ぶりです。)

⑱東海大農学部阿蘇キャンパスの阿部淳教授(学生時代からの友人)に熊本市役所で再開・すし屋で夕食

1・2日目の熊本市訪問と災害ボランティアスタートは東大応援部・東京六大学応援団連盟関係の友人、明治大学応援団の角野信一さんにご案内いただきました。

3日目は益城町にボランティアに入ったのですが、そのご案内をしていただいたのは、阿部淳教授(東海大農学部阿蘇キャンパス)です。阿部淳さんは、私が学生時代、応援部とともにもう1つ力を入れていた自治活動(学生自治会・駒場寮委員会)で、東大教養学部学生自治会(略称 東C自治会、CはCuiture)常任委員会時代の友人です。その後、阿部さんは、東大農学部助教になられていたこともあり、時折、駿台予備学校学生の希望者を募って、文京区にある東大農学部農場見学や、阿部さんの研究テーマである「根と土壌」に関する実験・観察講座を開いていただいたこともあり、東京においてたいへんお世話になってきました。

2年前より東海大農学部阿蘇キャンパスにうつられ、現在は教授となられています。阿蘇キャンパスは学生さん3名が亡くなられたキャンパスです。

亡くなられた学生さんのご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

阿部さんご自身も被災され、研究はまだできない中、大学の学生のケア、授業再開の可能性を考える業務をされておられます。そんな中、27日の益城町周辺への送迎をしていただきました。その報告は、第3号でいたします。下の写真は26日の最後に熊本市役所で落ち合った後、中心街のすし屋で食べた後の写真です。

160426阿倍さんキャプチャ

 

⑲熊本カプセルホテル宿泊(26日夜と27日夜の2泊)

私は昨年秋の、鬼怒川周辺水害の災害ボランティアに7回参加した体験もあり、今回も、熊本震災ボランティアで少しでもお役にたちたいと、ボランティアの参加の可能性を調査していました。ボランティア関係のリアルタイムの情報収集として、「ツイッター」のキーワード検索を使っていますが、「熊本震災 ボランティア」などのキーワード検索したところ、熊本市が22日から一般ボランティア受付を開始することを、20日の時点で把握でき、早速、宿泊場所の確保を検索しました。熊本市内の一般ホテルはすべて受入れ中止する中で、熊本カプセルホテルのみ26・27日にネット予約ができました。(もしカプセルホテルが被災者を多く受け入れる方針ならば、私は遠慮したほうがよいとも考えました。そこで翌日電話で確認したところ、行政などからは被災者受け入れ要請などはなく、結果としてはボランティアや工事関係者も受け入れているとの話が確認できたので予約をそのままにしました)

23日朝にNHK朝のニュース全国放送で熊本市ボランティアセンターが災害ボランティアを募集するというニュースが放映された後、25日宿泊を追加しようと電話したところ、全室予約いっぱいでした。行動決断において、情報は早めに入手し即断して予約することが重要と改めて感じました。

↓26日(火)時点、休止中の一般ホテル

160426ホテルは下位キャプチャ

↓26日(火)夜、ボランティア・工事関係者を受け入れ営業中の熊本カプセルホテル

熊本カプセルホテルキャプチャ

⑳夜11時台、父親と女児の声がする

幸い、(21日時点ではシャワーのみと電話で言われていましたが)、26日には風呂が再開されていて、2日ぶりにゆっくり風呂に入れました。夜11時台に寝ようとした所、女児(幼稚園ぐらい)の鳴き声と父親がなだめる声が周りから聞こえました。しばらくしたら女児の声は聞こえなくなったので、父娘で寝入ったようです。

カプセルホテルは寝るための狭いカプセルが並び、隣の物音も聞こえ、一般ホテルと比較すると快適とは言えません。だから、男性の中でも「カプセルホテルでは休んだ気がしないので使わない」という人もいるぐらいです。私は、学生時代最後あたりに3か月間フィリピンを宿・ホームステイを転々としながら旅をした経験もあり、どこででも寝られるタイプなので、時々利用します。寝られるタイプの男性ならば、「宿泊代が安く風呂にも入れる」ので便利です。ただいずれにせよ、「女性利用可のカプセルホテル」は基本的に少なく、カプセルホテルは男の世界です。その場所で女児(幼稚園ぐらい)の鳴き声を聞き、震災の緊急事態を感じました。たぶん、車中泊の連続かプライバシーにない避難所生活からの一時避難のために父娘が宿泊を予約し、カプセルホテル側も、同じ狭いカプセルの中ならという条件で、震災時の特例として受け入れたと推察します。

(ここらへんはあくまで予測・推察としてお読みください。また、違う事実がわかれば訂正しますのでご指摘ください。)

女児・父娘がここに一時避難を求めたことに震災が緊急事態であることを実感しながら私も、翌日の益城町行きに備えて寝ました。