【6月21日(土)15~20時】船橋市議会内会派「市民民主連合」(#船橋市長選 前は、立憲民主党7人+無党派4人で構成)の部屋の荷物を撤収しました。

2025年6月21日(土)20時半 船橋市議(無党派) 朝倉幹晴

【2分動画】【6月21日17時】会派の部屋の窓からの風景の見納め

私は無党派ですが、非自民であり、全体的には、自民党と立憲民主党とを比べると立憲民主党のほうが、近い考えです。そこで、立憲民主党の7人の方と、私と同様の無党派の方4人で、船橋市議会の中では、船橋市長選前は11人会派「市民民主連合」に参加してきました。私が最初に「市民民主連合」に加わったのは4年前です。

●政党と船橋市議会内会派の違い

基本的には無党派4人には、立憲民主党の活動への協力は義務のように求められることはなく、昨年(2024年)までは、無党派らしく自由に活動させていただきました。ただ、日ごろの会派での共同の感謝を込めて、選挙の時は、立憲民主党のお手伝いもしたこともあります。

しかしながら、船橋市長選をめぐっては、不思議なことがおきました。まずは、2025年1月、立憲民主党の会議で、同じ会派のつまがり俊明さんを市長選に推すことが決まりました。しかし、その後、会派「市民民主連合」で、つまがり氏を推すかどうかが議題として提案されたり話しあわれることはなく、無党派の4人の市議には、つまがり氏支持が強制されることはありませんでした。その結果、4人中2人はつまがり氏を支持し、1人は現松戸市長を支持し、私は、特に誰も支持しないと、無党派4人の対応は分かれました。ここまでは会派の中での個人の意思は尊重されていました。

ところが、雰囲気が変わったのは6月5日以降です。5月29日に、私が、つまがり氏に対して、「6月13日までに市議を辞職し、新人議員に議席を譲るべき」と要請しました。その要請は無視され、その議論は6月5日から公開することになりました。
船橋市長選予定候補 つまがり俊明市議(立憲民主党) は6月13日(金)までに市議を辞職し、新人市議に議席を譲るべきです

これに対して、立憲7人の議員の中の1人(全員ではなく他の6人はこの発言をしていない)から、この議論を「つまがり氏に対する攻撃」と決めつけられ、「会派を出るべきだ」と要求されました。
会派の会議の結果でもなく、立憲7人の総意(あるいは党の決議)でもなく言われた「あいまいな」状態なので、会議などの決議ではないとはいえ、この「空気」の中では、ご一緒に会派の中にいるのは無理だと感じました。また、私のほうも、たぶん、補選2位候補の人生を狂わせ、2位候補に寄せられる2~3万の市民の投票を死票にしたつまがり氏に近い方々と一緒に行動するのは、無理ではないかと考え、本日、会派離脱を前提に、会派の部屋に会った荷物を基本的に撤収しました。一人の船橋市民の方に撤収をお手伝いいただきました。

市長選後の、新議会構成の中で、私の立ち位置がどうなるかはわかりませんが、信念に基づき行動をします。

この問題(自動失職による補選2位候補に寄せられた市民の2~3万票の死票化)が解決(正式な反省など)されるまでは、昨年までのような関係は無理であり、「市民民主連合」にお世話になった4年間に感謝するとともに、本日、「立つ鳥、跡を濁さず」の諺に従い会派の部屋にあった荷物を撤収しました。
(会派の離脱手続上、正式な離脱は来週になります)

手前が私の机(撤収前、整理が苦手で、すみません)


ちなみに、2つ隣がつまがり氏が使っていた机、補選2位候補が使うはずのこの机は、2027年4月(市議会議員選挙本選)まで、「空席」となり1年10カ月使用されなくなる。(たぶん倉庫などに収納される)

撤収後の朝倉の机

本だなの本も全部撤収しました。私の本が多いので、会派の方々のご好意で本棚一杯を使用させていただいてました。感謝申しあげます。本だなはこのまま置いていきますので、会派の皆様でお使いください。

撤収と家などへの荷物の移動(市民の方に車を出していただきました。ありがとうございました)は15時にスタートし、20時までかかりました。ちょうど、市長選の最終日の時間帯でした。いろいろな思いもありましたが、私にとってはこの撤収が、次のステップのために必要との想いのもと、この撤収に取り組ませていただきました。