2021年12月15日、東京医大女性差別入試損害賠償請求訴訟の公判を傍聴し、4人の元受験生の想いを聴きました。

2021年12月15日 駿台予備学校市谷校舎(医学部受験専門校舎)生物科講師 船橋市議 朝倉幹晴

はじめに

私は、1991年より、駿台予備学校市谷校舎(医学部受験専門校舎)で30年以上、生物を教えてきました。今もつながり続けている元生徒も多く、受験期やその後の人生においての様々な想いをお聞かせいただいて来ています。
医学部受験生は他の受験生と同様、入試において、学力(点数)で平等に評価され合否が決まることを前提に、浪人も含めたきびしい勉強中心の生活をします。

しかし、2018年8月に、東京医大の女性差別入試が発覚しました。合否決定において学力(点数)で平等に評価されず、女性というだけで低く評価される差別の存在が明らかになり、他の大学においても明らかになりました。この事件は世論に衝撃をあたえ、その後世論の中、この女性差別は(隠されたものが残っている可能性は否定できませんが)、基本的には改善される方向に進んでいます。ただ一方で、2018年までの責任と、それで辛い思いをされた女性受験生たちの存在は忘れてはならないと感じます。

2018年以前に入試において差別を受けてきた元受験生の女性たちの中から、まず受験料返済裁判が提訴され、受験料については返済されることとなりました。次に受験料にとどまらず、差別を受けたことに関し、人生や進路において被った被害全体を問い、医学部の責任を問う裁判が、女性弁護士を中心に結成された「医学部入試における女性差別対策弁護団」を中心に提起され、今、複数の医学部に対して裁判が行われている最中です。

医学部入試における女性差別対策弁護団

なお、私は2018年の時期には、別の論点から以下の動きをいたしました。
【2018年11月21日、文部科学省に提出】東京医大の追加合格者による2019年度入試合格者減少分を、他大学医学部を含めた臨時定員増で補うことを求める緊急要望書

 

私は、当弁護団の打越さく良弁護士(のちに立憲民主党参議院議員となる)とFB友達であり、情報は入っていましたが、コロナになったこともあり、直接、裁判には関与してきませんでした。ただ、本日2021年12月15日、本人証言が行われるという機会に傍聴に伺うことにいたしました。30年以上、医学部受験生とご縁があった者として、医学部入試に関して、理不尽な辛い思いをされた元受験生の声を聴き、それを世に伝えていくことを通じて、女性が医師・医療従事者をめざしあやすく働きやすい社会にするように求めていくことは私の責務の1つと感じています。

東京地裁の610号法廷で行われました。裁判長は女性(他の2人の裁判官は男性)でした。傍聴者は30名ほどいらっしゃいました。


開廷のあと、証言を行う4人の宣誓書読み上げがあり、順に証言(本人尋問)を行いました。問題の性質、原告たち(元受験生)たちの今の位置に配慮され、本名は名乗らず、原告番号で呼ぶことを裁判所も認めていました。私が1990年代に支援に関わった薬害エイズ裁判(HIV訴訟)においても、実名ではなく原告番号で呼ぶ裁判が主体であったことを思い起こしました。約40人の原告のうち、本日4人が証言し、1月14日(金)の次回公判で1人が証言します。40人の中には、原告にはなるが、証言まではできない気持ちの方もおられ、また裁判自身が応援するが諸事情で原告にはなれない方もいます。5人の証言は、他の原告、そして女性差別を受けてきた医学部受験生全体の気持ちの一端を代弁していると感じました。
原告側弁護士が被害の実態やその時々の気持ちを本人に質問(尋問)し、その後被告弁護士(東京医大側)が反対尋問、最後に裁判官からの質問の順番を、4人に繰り返す形で公判は進みました。結果的には、被告側の反対尋問はなく、裁判官の質問は、入試当時の住所と、東京医大受験当日の行きかえりの交通手段の確認という簡単なもので、主には、原告側弁護士が被害の実態やその時々の気持ちを本人に質問する応答がほとんどでした。
法廷の内容は公開されているものですし、もともと原告の本名は名乗らず、証言の際ももともと個人の特定ができない配慮がなされています。残念ながら、これほど大切な裁判で、元受験生の気持ちの表明があったにも関わらず、取材に来ていたのは新聞社一社のみでマスコミの注目度が低く、この裁判の存在自体が知られていないことを危惧します。そして裁判後、弁護団の方に私が本日の情報を発信することにもご理解いただいたので、未来の受験生、医療者のために4人が証言した内容要旨をお知らせするのは大切と考え、記します。また年号は西暦表記にします。(なおメモを取りましたが、正式な会議録ではないので、漏れや、一部不正確な部分がありうることはご容赦ください。また質疑に番号をつけましたが省略した部分もあるため質疑数はこの数以上にあります。また証言されたことの中にも私なりの判断で曖昧な表現にしたり記述しなかった部分もあります)
 記憶とメモに頼った要約であり、完全な正確性の担保がないので、ネット上での閲覧や紹介はかまいませんが、正式な場での引用や紙に印刷しての引用はご遠慮ください。

原告番号8番
1、現在の立場は? →薬学部6年生
2、医学部受験をした年は? →2013~2018年の計6年。2015年に薬学部に合格進学したが、2016・17・18年は在学しながら医学部受験した。東京医大はずっと受験を続けた。
3、なぜ東京医大を受けようと思ったのか? →伝統のある大学、首都圏で東洋医学を学べる大学、医療人としての心や倫理観を強調していることに共鳴したので。
4、受験した時、東京医大が女性差別していたと知っていたか?
→うわさで聞いた「入試で同じ点数だった場合、男子をとるかもしれない」ぐらいはありうると思っていたが、本格的な差別があるとは思っていなかった。両親は「差別があるのではないか?」と言ったが、私はそれを否定して受験を続けた。
5、2018年8月に東京医大入試に女性差別(点数操作)があったと報道された。それを知った時、どう感じたか?
→東京医大の理念に共鳴して受験したのに裏切られた怒りを感じた。また「差別はない」と言い続けて受験を続けた自分に罪悪感を感じた。社会に対して、「がんばれば報われる」と思っていたが、「がんばっても報われない差別がある社会なんだ」と社会に対する見方が変わった。
6、体調や健康に影響はありましたか?  →不眠、無気力、暴飲などしてしまい、留年もすることになってしまった。
7、東京医大入試で女性差別があると事前に知っていたら受験しましたか?
→しません。最初に述べたように、東京医大の理念に共感して受験したので、女性差別(点数操作)をするような大学と知ったら行かない。
8、裁判官に言いたいことは?
私が裁判に参加したのは3つ理由がある。「東京医大に罪を認めてほしい」「苦しんでいる女の子たちの気持ちにたって、正当な評価をされる社会にしてほしい」「東京医大事件がだんだんと忘れられつつあると危惧している。忘れないようにしてほしい。」  そして、医療における働き方など根本的な問題を解決せずに、それを受験生に押し付けているのはおかしいと思う。私は、医療は人を助けるもののはずであるが、この状態が放置されればむしろ人を苦しめている。改善を願う。

原告番号39番
1、現在の立場は? →医学部6年生
2、医学部受験した年は? 2013年(高3)と2014年(一浪)。両方とも東京医大も受けているが合格せず、合格した医学部に進んだ。
3、なぜ医師をめざしたか?→「監察医の涙」を読んで医師の仕事の大切さを知ったこと、他人に依存せず自立した生き方をしたいと思ったことがきっかけ。
4、なぜ東京医大をめざしたか?→伝統のある大学であり、教育にも力を入れていることに共感した。
5、親は医学部に入るためにどのように学んだか?→医学部受験に強い全寮制の中高一貫校と、浪人の時にも全寮制の予備校に通った。とにかく1日に10時間以上勉強をつづけた。
6、東京医大受験に特化した対策をしたか>→赤本を買って勉強した。また、東京医大対策の予備校の講習を受けた。
7、東京医大が女性差別をしていると知っていたら受験したか?→受験しなかった。フェアでない大学には賛同できない。
8、裁判官に言いたいことは?→東京医大にはもう同じことをしないことを約束してほしい。そして、病院実習などで女性医師や医療従事者が世の中に必要と感じる。女性が活躍できる社会になってほしい。

原告番号1番
1、現在の立場は?→2014年から医師として働いている。
2、医学部受験した年は?
→私は他の大学を出て働いていた。27歳の時、2004年に、医師を志し、2005、2006年に働きながら予備校に通い、働いている時間以外はすべて勉強する生活となった。2006年は、慶応大学、慈恵医大は不合格。東京医大は一次は通ったが二次は不合格。ある首都圏でない国立大学に受かったのでそちらに進んだ。
3、受験当時、差別などがある認識はあったか?
→ネットなどの情報で、慶応と慈恵医大は現役・男子優先といううわさを見ていた。東京医大は女性差別があるとの認識はなく情実があるようだといううわさは見ていた。ただ、両方ともネット情報で確度は高くないため、受験はした。
4、もし東京医大が女性差別をしていたと知っていたら受験したか?→100%の情報だったら受験しなかった。
5、なぜ裁判に参加したか?裁判官に言いたいことは?
→私は大学病院で働いてきたが、その中で女性が働きにくく、現状では男性のほうが働くのに適した状況を観てきた。たとえば、患者の家族は、ご自身が仕事が休みの土日祝日や仕事帰りの平日夜に病状説明を求められることが多い。すると子育て中の女性医師が無理で、どうしても男性医師が対応することになる。この現状を是認すれば、男性優先となってしまう。しかし、この矛盾を女性の入試差別で安易に解決しようとするのでなく、医師の働く環境を整え女性が働きやすい環境にすべきと考える。この裁判を通じて、今後の女性医師の働く環境を整えていきたいと思い裁判に参加した。

原告番号36番
1、現在の位置は?→首都圏の私立大学の3年。
2、なぜ医師をめざしたのか?→幼い時から手先が器用だったこと、また手塚治虫さんのBlack Jackを読んで目指した。
3、医学部を受験した年は?→2017年(高3)、2018年(1浪)、2019年(2浪)。2019年に合格した首都圏の私立大学に通っている。東京医大は2017年受験で一次で不合格、2018年受験では一次合格、二次不合格だった。
4、東京医大を受けた理由は?→実家から通える近い大学であったこと、また「正義。友愛、責任」という理念に共感した。
5、2浪目の途中、2018年8月に東京医大入試差別がわかり、その補償措置で合格通知が送られてきたのですね。その時、どう思われましたか?
→怒りと憎しみを感じた。努力しても報われるとは限らない社会だと思った。
6、合格通知に関する東京医大の説明会にも参加されたと聞いています。参加されてどう思いましたか?
→誠実な説明とは感じされなかった。そのような大学に行く気はせず、そのまま受験勉強をつづけた。東京医大より偏差値が高い大学に受かってみせると勉強に力を入れ、受けた大学の多くに合格し、今の大学に入学した。
7、なぜ裁判に参加したのか?裁判官に言いたいことは?
→東京医大には責任を自覚してほしい、辛い思いをする受験生は私たちで最後にしてほしいとの思いで参加した。

 

裁判後、報告集会などはなく、610号法廷横の待機室で、4人の原告と弁護士、傍聴者が円になって、原告の感想を聴く立ち話が5分ほどありました。短時間のもので傍聴者の発言の機会はなかったので、私も何も発言はいたしませんでした。その後、近くに立っていた原告1人と弁護士1人と少し立ち話をいたしました。どの方と特定はしませんが、その原告は駿台予備学校市谷校舎に浪人のとき1年間通っていたことがわかりました。やはり、何気なく接してきた受験生の中に、この辛い想いと裁判への参加の決意をされた方がいることを知り、今後もこの裁判を見守り応援し続けることが私の役割と感じました。

また、4人それぞれの医師をめざした動機や、医療への想い(後輩の女性医師・女性医療従事者が働きやすい社会にしたい強い想い)の「法廷」でお聞かせいただき、4人の人生をかけた想いの一端を感じさせていただきました。同時に、本来は、この思いが、「法廷」でなく医学部入試の面接や、医療改革に審議会の証言、女性医師、医療従事者育成の講座などで語られ共有され、その思いが正当に評価されるべきものと感じました。この証言が「法廷」で行われていることは、改善に向けての一歩前進だと思うとともに、「本来は法廷でない別に場所で語られるべき内容だ」と複雑な想いを感じました。