31年前の今日(1984年3月19日)の東大駒場寮での原体験 2015年3月19日記

朝倉幹晴

1984年3月19日(31年前の今日、当時21歳)
東大駒場寮委員会(私が寮委員長)と教養学部学寮(第八)委員会(委員長、藤本淳雄教授(フランス語))の「水光熱費負担と寮施設改善に関する合意書」仮調印

理念的なことを割愛して、実質的なことのみ書くと、
①寮側は水光熱費負担(月額)を200円→2612円(試算)に上げることを認める
②大学側は、寮施設改善予算を文部省から獲得する努力をする(1985年に工事完了)。
  中身 証明倍化(24畳(3人部屋)で蛍光灯2本→4本)
     電気容量3倍化(5A→15A)

この妥結をめぐっては、泉房穂さん(現明石市長)はじめ批判的意見の方もいて激しく議論させていただいた。結果的に5月11日に全寮投票で批准、24日に本調印となる。
 この仮調印にいたる交渉は夕方4時~夜12時まで続いたため、今の時間も交渉中であった。31年経た今も、交渉中の体感・記憶が残っている。

大学入学時、理系オタクに近かった私が、今政治の世界に関わっている原体験はこの寮での体験と1986年チェルノブイリ原発事故後の脱原発運動の体験が出発点となっていると感じる。

↓合意書に仮調印する私(102期駒場寮委員長)

図3

↓教養学部第八(学寮)委員長 藤本淳雄教授
図4