母の告別式を終えて~母の想いを引き継いで生きていきます(2025年2月11日)
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母の告別式を終えて~母(朝倉静子)から受け取り、学んだことを引き継いで生きていきます。
2025年2月11日 学習サポート主催・予備校講師、(船橋市議) 愛知県豊橋市出身 朝倉幹晴
2025年2月6日(木)朝、母(朝倉静子(通称:しず江)は永眠いたしました。96歳でした。生前のご厚情に感謝申し上げます。
2月10日(月)、日本福音ルーテルみのり教会豊橋礼拝所で告別式が行われ、兄弟姉妹、子ども・孫・教会関係者などの見守りの中、出棺し、豊橋市葬儀場にて火葬、御骨は無事に実家に戻りました。
父母と私
母は生涯を通じてキリスト教の精神のもと社会貢献をめざし実践していました。その実践を、家族だけでなく、多くの方々にお知らせすることで、母の願いが後世に引き継がれていくこと、また(私自身は信者ではないのですが)母が生涯信仰を貫いたキリスト教世界の社会貢献の一端を、少し関わった私の視点でご報告させていただきたく、一部をここに共有させていただきます。
【告別式にて配布された母のあゆみ】
父母が生涯の仕事としてきた、日本の伝統紡績「ガラ紡」(兄たちが引き継いでいます)
牛川小学校での織物教室の生徒達からの感謝状
母の絵(イグナチオ協会のミサでの子どもたち)
私が母と暮らしたのは、18歳の高校生まででした。母に連れられて、日本福音ルーテル舟原教会(今の「みのり教会」、プロテスタントのルター派)に何度も行ったものも、結局、信者とはならず今にいたっています。
私をおんぶしながら仕事をした母
父母と兄姉(赤ちゃんが私)
高校時代は思春期独特の母への反発をし、「自然科学」を学ぶ大学に進学した頃は、キリスト教世界から離れられたことを正直喜んでいました。父母が辛い体験をキリスト教への信仰によって乗り越えていった重みを十分に感じられていませんでした。
しかしながら、信者にはならなかった私の中にも、父母は、キリスト教のヒューマニズム・社会貢献の精神を育んでくれました。
意識してはいませんでしたが、私が予備校講師として教育の世界に入り、30年以上、生徒を教えてくることができたのは、(父の仕事を手伝う前に)母が最初にした「教師」の仕事を引き継いだことになったのだな(そういう運命だったのだな)と感じます。
★駿台予備学校市谷校舎(医学部受験専門校舎)で、受験生たちへの授業と、壮行会での応援エール
母の言葉の端々に、単に「(自分の)子ども」に対してでなく、普遍的な教師としての意味あいも入っていたと今は感じることができます。母が後年に、牛川小学校での織物教室を開催し、小学生たちと触れ合うことができたのは、教師としての出発点を再確認できるよき時だったと思います。ちょうど同じころ、私は、主に18・19歳を教える予備校だけでなく、福島原発事故被災の小中学生学習サポート、そして母子生活支援施設「青い鳥ホーム」での学習サポートで、小学校教師として出発した母ち同じく、小学生を教えることになっていました。そして私がこの15年間関わってきた「学習サポート」の半分以上はキリスト教世界の支援のもとに行われてきたものでした。
以下、私の関わった学習サポートにおけるキリスト教世界との関りを紹介します(母に見守られながらの活動だったと感じています。)
2011年、福島県から船橋市に避難してきた小中学生への学習サポート「災害支援ボランティアがんばっぺ、学習サポート部会」(キリスト教世界とは特に関係なし)
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2013年~2017年 福島県から飯田橋に避難してきた小中学生の学習サポート
「きらきら星ネット」 カトリックの支援のもと、カトリックの聖パウロ女子修道会にて実施(私も教えるスタッフとして参加)
「きらきら星ネット」 子どもたちと学習ボランティアスタッフ(駿台予備学校市谷校舎の予備校生含む)、シスターと(2016年)
2015年~現在の継続
母子生活支援施設「青い鳥ホーム」(運営法人は、日本福音ルーテル教会系)での学習サポート
そのスタートにあたっては、母と豊橋市立中部中学校(ルーテル教会のはす向かい)の同窓生からの働きかけをいただいた。
今も月2回、小中学生約10名を、数名のボランティアスタッフと共に教えています。
(この投稿の主旨ではないので触れませんでしたが、キリスト教世界とは別の形での学習サポートも並行して実施しています。船橋の公民館。You Tubeなどで)
母はこの世の旅路を終え、天国に招かれましたが、私は母の精神を今度も引き継いで生きていくことで、私の心の中でいつまでも母の声を聴き続けていきたいと思います。
母にご縁のあった方、あるいは、この記事を読んで興味をお持ちいただいた方は、父母の「自分史」があります。非売品ですが、お貸しすることはできますので、おっしゃってください。
この自分史は、船橋市民の「自分史」編集者の小出裕子さんに、豊橋市まで取材に出向いていただきまとめたものです。この取材をして間もなく、父母ともに病院や施設に入ることになりました。ぎりぎりのタイミングで取材いただき、本にまとめていただいたことに感謝申し上げます。
【参考・父について】軍国主義からキリスト者・平和主義へ
1945年8月24日、陸軍最後の抗闘「NHK川口放送所事件」70年目の節目に平和を願う。 2015年8月24日 船橋市議(無党派)朝倉幹晴