2022年千葉県公立高校入試「社会」第4問(古代~江戸時代)(15点配点)問題・解答・解説
解答(15点、各3点×5)
(1)ア→エ→イ (2)イ (3)エ
(4)1武家諸法度(ぶけしょはっと) 2ア
(5)書院造(しょいんづくり)
(1)(4)すべて正しい場合のみ3点
【解説】
(1)「ウ 聖武(しょうむ)天皇は、国ごとに、国分寺と国分尼寺をつくるように命じた。」は奈良時代である。
飛鳥時代は、大化の改新(645年)を境に、それ以前の聖徳太子・遣隋使(小野妹子)の時代と、それ以降の律令政治の形成への流れの時代に分けて考えるとよい。選択肢には聖徳太子はないため、大化の改新(「ア 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)などとともに蘇我氏を倒した。」)が最初。
そしてその直後にエ(朝鮮進出と敗北(白村江の戦い))、そして内政重視への転換によって、イ(天武天皇(てんむてんのう)が、天皇中心の政治をおこなった。)、そして701年には大宝律令で律令制度を整備し、710年の平城京遷都、奈良時代へと移っていく。
(2)選択肢の中では、平安時代末期の平氏政権の平清盛が、大輪田泊(今の神戸港)を起点に中国(宋)と交易した日宋貿易が平安時代である。
イ (宋との貿易を盛んにするため、瀬戸内海の航路や兵庫の港が整備された)が正解。
ア 日本と明との間の朝貢形式の貿易では、勘合(かんごう)とよばれる証明書が使われた。(足利義満、鎌倉時代)
ウ 朱印状を持つ西日本の大名や京都、長崎、堺などの商人が、東南アジアと貿易をおこなった。(江戸時代初期)
エ 南蛮人と呼ばれたスペイン人やポルトガル人の船が、長崎や平戸などに来航し、貿易をおこなった。(南蛮貿易、戦国時代~江戸時代の鎖国前)
(3)エ
後鳥羽上皇は鎌倉幕府の初期に、天皇に権力を取り戻そうとして失敗し、隠岐に流されそのまま隠岐で亡くなる(承久の乱)。
元寇以後弱体化した鎌倉幕府の末期に、天皇に権力を戻そうと決起したのが後醍醐天皇である。後醍醐天皇は、室町幕府を開く流れにつながる足利尊氏と協力し鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始めるが、すぐに足利尊氏と対立することになる。京都から吉野に逃げ、尊氏が支持する京都の朝廷(北朝)に対し、吉野で南朝を立ち上げ、南北朝時代になる。
(4) 1600年関ヶ原の戦いで勝った徳川家康は、1603年に征夷大将軍に任じられ江戸幕を開く。負けた豊臣家は一大名として存続を許されていたが、1615年に大坂冬の陣、夏の陣で滅ぼされる。同じ1615年、幕府は武士の規律を定めた武家諸法度(ぶけしょはっと)を制定する。鎌倉時代(執権、北条泰時)のものは御成敗式目(ごせいばいしきもく)であるので混同しないようにしよう。なお、江戸幕府は、武家諸法度と同時に、京都の公家の規律として禁中公家諸法度も制定した。また、京都に監視役として京都所司代を置いた。(鎌倉時代、後鳥羽上皇の反乱後置いたものが六波羅探題なので混同しないようにしよう。)
(5)書院造(しょいんづくり)
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