鴨長明「方丈記」を読んで想う~812年前(1212年3月)からの問いかけを受け止める~

2024年2月27日(火)  船橋市議・予備校生物科講師 朝倉幹晴

本日、恥ずかしながら、鴨長明「方丈記」の現代語訳を解説のエッセイとともに、生まれて初めて読みきりました。現代語訳は短い文章(本)なので、解説も含めて3時間ほどで読むことができました。
生きている意味を考える上でも、人生をより深く味わいながら歩んでいくためにも、812年の時を経て、今の私達にも問いかけてくるこの文章を、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。

実は「方丈記」自身の原文は以下でネット上で無料で読むことができます。
「方丈記」青空文庫

これを開いていただければびっくりされると思いますが、もっと長い文章と勘違いされている人が多いですが、短い文章です。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

誰もが知っているこの冒頭の文章、私は、生命の本質「動的平衡」を示すものとして生物学の授業の際にもたびたび引用してきましたが、後半部分まで読み切ったことは今日までありませんでした。

私もかつてそうでしたが、国語のテストで、鴨長明「方丈記」と吉田兼好「徒然草」を著者と作品名を間違えずに(混同せずに)答えようと努力して「覚える」対象としてした捉えていない高校生は今でも多いのではないでしょうか?

全文を今まで読もうとしなかったのは、原文(古文)で全文を読み切るのは簡単ではないし、「達観」した方のエッセイを「世俗」で生きている私が共感できないだろうという思いがあったからです。しかし、それが思い込みでしかなかったことが以下の本を読んでよくわかりました。


(光文社文庫)
【本書裏表紙の案内文】
災厄の数々、生のはかなさ・・・・。人間と、人間が暮らす建物を一つの軸として綴られた、日本中世を代表する随筆。
京都郊外の日野に作られた一丈四方の草庵で、何ものにも縛られない生活を見出した鴨長明の息遣いが聞こえる瑞々しい新訳!
和歌十首と、訳者のオリジナルエッセイ付き。


アマゾン取扱い「方丈記」(光文社文庫)

なお「方丈記」は光文社文庫以外でも出版されていますので、自由にお選びください。ただ、私はこれを読んだので、これをもとに解説します。)

 

私に「方丈記」の味わいを気づかせてくれた本書のエッセイのほんの一部紹介します。

「このように考えると,『方丈記』を記す鴨長明は、じつは、まだまだ俗世間と関りたいのではないかと思ってしまう。無意識のうちに、本人も気づかないところに、そんな気持ちが残っているのではないか、と。
それが悪いのではない。仏道修行として問題があるとしても、現在、読み物としての『方丈記』と対峙するにあたっては、むしろそういう点に心を引かれる。なぜかといえば、そこに深い葛藤があるからだ。超人ではない人間のすがたがあって、それが著者を身近な人として読み手へ近づける。」

「方丈記」が書かれた1212年3月は、平安時代から鎌倉時代に移った頃です。言い方を変えると、平家から源氏に政権が変わった頃(1185年)です。鎌倉幕府の執権の北条家の歴史書の「吾妻鏡」に「院御領 船橋御厨(みくりや、荘園のこと)」と始めて「船橋」の名が書に記された(1186年)頃から26・27年とほぼ近い時期です。
船橋史を学ぼう(2022年2月24日、朝倉幹晴の船橋市議会質疑録画中継&議事録)

京都の方丈(4畳半か5畳半)で書かれた文章が、812年の時を経て、(家の全体は少し広くなったが、各部屋の広さはほぼ同じ広さを維持して住んでいる)日本列島の住民の1人である私の心に届いたと考えると不思議です。本書は640円(税入れて704円)です。1年約1円で812年の時を越えて「タイムワープ」してきたと考えると破格な安さです。
もしかしたら812年の時を経ても、人の心の葛藤や想いはあまり変わらないのかもしれませんね。

ぜひお読みください。

 

参考
映画(ネトフリ・アマプラ配信作品中心)、小説、本、アニメお勧めリスト