船橋史を学ぼう(2022年2月24日、朝倉幹晴の船橋市議会質疑録画中継&議事録)

2022年4月28日 船橋市議・船橋史愛好家 朝倉幹晴

2022年2月24日の船橋市議会で行った「船橋史を学ぼう」に関する質疑の録画中継(該当部分)をUPしました。ぜひご覧いただきご意見ご感想をお聞かせください。(正式な議事録は5月中旬に船橋市議会HPに掲載予定です。しばしお待ちください。掲載されましたらここにも掲載します。)

2022年2月24日、船橋市議会での朝倉幹晴質疑録画中継「船橋史を学ぼう」

参考
ふなばし街歩き~歴史を感じる~(2022年5・6月)のご案内

 

●「船橋御厨」に関する簡単な説明

「吾妻鏡」船橋御厨(みくりや)に関しての簡単な説明です。詳しい範囲はわかっていませんが、夏見も含め船橋の中央部から南部にあったことから「夏見御厨」とも言われます。


(国立公文書館「吾妻鏡」デジタルアーカイブ)

大化の改新(645年)で、土地はすべて国家(天皇)のものとし、それを6歳以上の男女に分け与え、死亡すると没収するという公地公民制(土地は国有)が導入されました。しかし、その後、耕地を増やすために、新しく開墾した土地は3代私有を認める三世一身法(729年)、永久の私有を認める墾田永年私財法(743年)ができ、私有地が認められていきます。貴族、寺社、豪族なら、大規模な開墾を行い、大規模な私有地(荘園)を増やします。
荘園は後ろ盾が弱いと略奪とかに合うこともあるため、積極的に強い後ろ盾を得るために寄進をしたり、護衛に武士を雇ったりします。
平安末期から鎌倉時代初期のことを記録した歴史書「吾妻鏡」に初めて登場する「船橋御厨」(1186年)は、夏見も含む船橋中央部から南部にかけた広い範囲と推定されていますが正確な範囲はわかっていません。「吾妻鏡」では、院御領とされており、当時の後白河上皇(法皇)に寄進された記録です。船橋御厨は伊勢神宮に寄進されていた時期もあります。

5月27日(金)20~21時にZoomにて、この解説も含めて平安時代末期から鎌倉時代初期に関しの講座を行います。よかったらご参加ください。
オンライン学びのひろば(毎週金曜日20~21時)のご案内(各回テーマ)

きちんとこのページを整理して掲載する前に、船橋史の歴史地図が詳しい展示会として行われた2016年11月1日~12月28日に船橋市飛ノ台史跡公園博物館にて開催された「船橋の遺跡~里帰りした資料(モノ)たち