6月22日(土)、台湾・台北での国際学会(IASTAM&ASHM 2024)で見田宗介・野口晴哉・小川康氏の理論と実践を報告します。
2024年6月20日 船橋市議・予備校生物科講師 朝倉幹晴
6月21日から台湾・台北で、国際学会「IASTAM&ASHM2024★」が開催され、22日(土)の分科会にて、私は10分の報告を行います。
★国際アジア伝統医学研究協会 (IASTAM、the International Association for the Study of Traditional Asian Medicine) とアジア医学史学会 (ASHM、 the Asian Society for the History of Medicine)との合同国際学会
内容は、社会学者、見田宗介が身体的組織の大切さに関連して、野口晴哉の整体に言及した文脈を紹介しながら、その姿勢を受け継いだ実践を行っている日本のチベット医、小川康氏の取り組みを紹介することです。
報告の機会をいただいたICTAM ASHM2024事務局の皆様、そして分科会の座長の田野尻哲郎氏(前・大阪大学招へい准教授に感謝します)
前回の学会発表は、2021年12月2日の日本分子生物学会フォーラムでの、「船橋市保健所におけるPCR検査と厚生労働省の指針の変化」という分子生物学・日本の標準医療の流れの中でのトピックに関連する報告でした。
2021年12月2日、日本分子生物学会フォーラム、朝倉幹晴発表要旨、発表資料&関連リンク先一覧
今回は補完代替医療系の発表になります。私は、両方の世界は、(世に誤解されるように対立するものではなく)、共に大切で、お互いが刺激しあい、補完しあいながら、人の健康や身体にせまる全体像を共に作り上げていくものと考えています。
詳細は報告終了後、改めて書きますが、以下が報告要旨を日本語にした内容です。
★7月4日加筆
<英語での発表内容〉
無事、発表を完了しました。
音読ソフトに読ませたバージョンです。
近代市民の自己解放への経路として、初期マルクスや日本のマルクス研究者で社会学者の見田宗介が強調した身体的組織を重視し、「自己決定できる体」を取り戻すように自発動を進めていく必要がある。
その萌芽が、日本人としてはじめてチベット医となった小川康氏の実践にあることを報告したい。
現在の状況を見ると、マルクスが唱えた社会主義は国家や運動としては成功していない。
しかしながら、特に初期のマルクスによる分析・展望には身体論につながる重要な問題提起がある。
たとえば、「ドイツ・イデオロギー」には次のような記載がある。
人類の歴史の第一の前提は、もちろん、諸個人の存在である。
したがって、最初に確立されるべき事実は、これらの個体の身体的組織と、その結果としての自然界の残りの部分との関係です。
人間は、生存手段を生産し始めるとすぐに、自らを動物と区別し始める。この段階は、人間の身体組織によって条件付けられる。
マルクスの提起した「下部構造―上部構造」概念は、社会主義運動の中では「経済―意識」と解釈されてきたが、初期のマルクスが強調したのは身体的組織である。
私は「下部構想―上部構造」概念を「身体的組織―意識」として捉えている。
実際、日本のマルクス研究者で、社会学者の見田宗介(1937―2022)は、身体の重要性に注目していた。
見田は、マルクス主義の解釈の著作「現代社会の存立構造」などを表すとともに、日本での身体性・自発動の実践者たち、野口三千三の体操と、竹内敏春の演劇実践、そして野口晴哉の実践などを紹介した。
私は1980年代、見田氏が教授をされていた東京大学に在籍し、身体実践を含む氏の講座には多くの学生が参加していたことを観ている。。
見田が野口を紹介した文章「晴風万里」には次のように記されている。
「30年間治療に専念する野口は100万を超える椎骨に触れてきたという。
Noguchi, who has devoted himself to treatment for 30 years, has come into touch over one million vertebrae.
あらゆる科学と宗教による説明を一旦外してこの100万の身体感応の現象に依拠して立つという、<間身体の現象学>ともいうべきものが、野口の方法である。
」
「『説明は30年後に誰かがしてくれる』と、野口はいう。
目前の、というよりは身間の、事実に常に新鮮に驚きながら、そこからいつも新しく人間世界の理論を立ち上げてゆくという方法である。」
座長のTetsuro Tanojiri氏やLaura Lopes Coto氏も述べたように、見田が注目した野口晴哉の実践は日本のみならず世界に広がっている。
見田が注目した野口のように、<間身体の現象学>の実践者の一人が、チベット医・小川康氏である。
小川の来歴と実践を報告する。
小川康氏は日本の大学の薬学部を卒業後、チベットに行き、外国人としてはじめて、チベット医の養成過程メンツイカンでチベット医となった。
小川は著作「僕は日本でたったひとりのチベット医になった」の中で、チベット医学を次のように紹介している。
「チベット 医学 は、 中国 医学、 アーユルヴェーダ( インド 伝統医学)、 ユナニ 医学( イスラムイスラム 伝統医学) とともに 東洋 四大 医学 に 数え られ て いる。
チベット 仏教 に 根ざし た 精神医学 で あり、 八 世紀 に 医聖ユトクによって 編纂 さ れ た『 四部 医 典』( ギューシ) を 教典 と し、 その 名 の とおり 四つ の 部門 から 成り立っ て いる。
脈 診・尿 診 が 発達 し て おり、 生薬 を もちい て 治療 を 行い、 その 生薬 は「 アムチ」 と 呼ば れる チベット 医 が みずから ヒマラヤ 山中 に わけ い って 採取 し て くる。
小川はメンツイカンで5年間、仏教から現地での植物の採取から薬づくりまでのチベット医養成教育を受けた。
そして、小川は民衆の前で、聖典「四部医典」を4時間半、八万字、暗唱する卒業試験(メントク)をへてチベット医(アムチ)となった。
その後、チベットでの短期の研修を行った後、小川はチベットには残らず、日本に戻り、日本においてチベット医学の考え方を広める実践を進めることとした。
小川は著作で次のように述べている。
神秘的 な アムチ に なら なく ても いい。
チベット 医学 と 格闘 し 自分自身 が 変わっ て いく こと で、 遠く 離れ た 日本 にさ ざなみのように 微か な 影響 を およぼす こと が できる かも しれ ない では ない か。」
そして、2009年より、長野県松本市に「森のくすり塾」を開設し、そこでの実践や日本各地での講演活動をしている。
小川は、特に2019年以降は、表に見られるように、日本のさまざまな場で講演を行っている。
チベットやチベット仏教に興味を持った人、薬草に興味を持った人、自発動や自然治癒力に興味を持った人など各地の様々な人が、氏を講演に呼んでいる。
講演の他、薬草から薬づくりの過程の体験会も実施している。
近年は、特に対象が広がり、芸術・文化人類学系の方々との対談、日本東洋医学会・日本伝統鍼灸学会などの学会での講演、専門誌「細胞応用細胞補完代替医療学 第2巻」への執筆、医学部受験生への講演なども行っている。
以上から、小川氏の実践には3つの意義があると私は考える。
第一に、見田が注目しながら、十分に広がらなかった身体性・自発動の復権である。
チベット医学自体が、自然の中で自らの身体組織を使って自然の植物を活用していく体系であり、小川氏の講座の参加者は、そのことに気づくことができる。
。
特に自然の中での薬草から薬づくり体験は著しくその要素が強い。
第二に、見田が野口に感銘を受けた実践から出発して考える姿勢が小川にもみられる点である。
野口は言った「『説明は30年後に誰かがしてくれる』と言いながら、100万を超える椎骨に触れて、人間世界の理論を立ち上げてゆく」
小川が、チベットで、植物の採取からの薬づくりに取り組みながら民衆の中で医師に認められ、今は、日本で多くの人と自然の中の講座・薬づくりを通じて語らっている姿勢は野口の姿勢を今に引き継ぐ実践である。
第三に、日本や世界の医療の在り方の問い直し、「自己決定できる体」を取り戻すきっかけとなる可能性を秘めている。
今、日本の医療においては、医師は医学部での教育と医師国家試験とをへて、西洋医学とも呼ばれる標準医療の理解を経て医師となる。
その過程に、チベット医学で行われている民衆が見守る中の暗礁での卒業試験などの直接の民衆とのやり取りはない。
また、EBM重視によるパソコンでの情報管理の徹底がゆえに、患者とじっくり会話したり、脈診したりすることが少なく、検査結果をもとに薬を処方するという機械的なものになる傾向がある。
そして、日本の民衆は、その医療体系の中で、自発動や自己治癒力ではなく、症状が出た時に病院に行き、医師に診てもらうという受動的・依存的な関係となりやすい。
そのことが、医療費の高騰の一因にもなっている。
小川氏の実践は、日本のみならず世界の医療制度が持つ歪みを直し、下部構造としての「自己決定できる体」を取り戻すヒントになると考えている。