【#船橋市長選・#船橋市議補欠選挙 44年の歴史初】~「#市長選 に立候補する先輩市議は辞職し、新人市議に議席を譲る」よき伝統を破った #つまがり俊明 元市議

2025年6月21日(土)追記
【6月21日(土)15~20時】船橋市議会内会派「市民民主連合」(#船橋市長選 前は、立憲民主党7人+無党派4人で構成)の部屋の荷物を撤収しました。
2025年6月17日(火) 船橋市議(無党派) 朝倉幹晴 info@asakura.chiba.jp
6月15日(日)に船橋市長選が告示され、5人が立候補し、同時に、船橋市議補欠選挙も告示され、(当初7人の予測を超え)9人が立候補した。
市長選は当然1人を選ぶ選挙だが、市議会議員補欠選挙は「市議会議員の定数からの欠員を補充するため」に行う選挙である。今、船橋市議会は、2024年の桜井信明市議(当時)のご逝去と、つまがり俊明元市議の市長選立候補に伴う自動失職で、欠員が2人となっており、「補欠」選挙を実施する主旨から考えて、9人立候補のうち、得票数が1・2位の2人分の欠員が補充される選挙となるべきだった。
しかしながら、つまがり俊明元市議が告示日前日(6月14日(土)、市役所の通常開庁日の前々日6月13日(金)がより望ましい)までに辞職せず、6月15日(日)市長選に立候補届を出すことにより、「自動失職」となった。そのため、同日告示の市議補選では、欠員が2になったとはみなされず、9人の候補者のうち、2位得票候補者は、2~3万の市民の投票の支持を得ても、市議にはなれない。そして、船橋市議会は6月22日(日)の「補欠選挙」が終了しても、欠員が1(つまがり氏自動失職分)生じたままとなる。
(4年前の11人立候補の市議補選の2位候補は2.6万の得票を得ていた。今回も9人で候補者数は近く、人口・投票率ともの4年前からほぼ同じと考えると2~3万の得票が予測される)
つまがり氏が、辞職せず、自動失職をすることで、「補欠」の意義からすると当選するべき、補選2位候補の当選を無効にする可能性があるとのうわさを聞いたので、私は5月29日、辞職するか、辞職しないのだったら理由を説明すべきと質問を出した。しかし、完全に無視され、今も返事もないままである。
船橋市長選予定候補 つまがり俊明市議(立憲民主党) は6月13日(金)までに市議を辞職し、新人市議に議席を譲るべきです。
つまがり氏本人から、無視され続けているので、最後の望みで、野田仁実さん(野田よしひこ立憲民主党党首の妻)に6月11日(水)にお会いし、もう一度主旨を伝え、夫(野田よしひこ氏)にもお伝えいただいたことまではご連絡いただいた。しかし、結局、辞職せず、自動失職をし、補選2位候補によせられた2~3万の船橋市民の投票が死票になることが強行されてしまった。
野田仁実さんに、最後まで私の訴えをお聞きいただいたことには深く感謝する一方、つまがり氏から無視され続けていることは残念である。
その経過を踏まえて以下のような声明を出させていただいた。
【動画】#船橋市長選 #つまがり俊明氏 以外の4人から選んでほしいと思います。 2025年6月14日(土)22時 船橋市議(無党派) 朝倉幹晴
そして、6月16日(月)12時に議員に以下のようなメールが届けられ「事後報告」がなされた
今回の行為の論拠にしている可能性があると言われている2つの論
自動失職をし、補選2位候補によせられた2~3万の船橋市民の投票が死票にするという行為を、つまがり氏がどう正当化しているのか?
つまがり氏から一切返事がないので、つまがり氏陣営の周辺から漏れ伝わってくる「うわさ」でしかわからないが、
つまがり氏が、この行為を正当化しているかは主に2つの論であると聞いている。
(この「うわさ」がもし根拠がないというならば、私の5月29日の質問を無視せず、今回の行為の理由を正面から理由を答えてほしいと思います。)
1「自動失職にしても法律違反ではない」という論
2「自動失職は、これまでも、一般的に行われてきた」という論
1「自動失職にしても法律違反ではない」という論
それはその通りです。もし、法律違反であるとすれば、そもそも、このようなことはできないし、選挙執行の実務の執行機関である「選挙管理委員会」自身が介入することになります。したがって、私が問いかけているのは、「自らも市民の得票の支持で市長になろうとしている者が、同日選挙での、2~3万の船橋市民の2位候補への投票を無視することをしていいのか?」という道義的な問いかけです。
「法律違反でなければやってよい」という行為が、NHK党によるポスター掲示板ジャックの問題であり、私は、そのこともよくないことと指摘させていただいた。
4年前の声明 【船橋市議補選】5枚の候補者名でないポスター掲示について~法律違反ではないが道義的には?~
●立花孝志氏(NHK党)が、(都知事選ポスターのあり方を批判した)船橋市議(無党派)、朝倉幹晴を名誉棄損で訴えた裁判を取り下げました。【2025年2月4日】
もし、つまがり氏が「法律違反」でなければ、道義的な問題は考えなくてよいと考えているならば、立花孝志氏と同様の姿勢と感じざるを得ません。
2「自動失職は、これまでも一般的に行われてきた」という論
「自動失職」(告示日に立候補届を出したことにより、その議員が前職議員などの職を失うこと)には2種類があります。
A、「選挙の定数等に影響を及ぼさない自動失職」
B、「影響を及ぼす自動失職」
Aー1「選挙の定数等に影響を及ぼさない自動失職」では、県議選(本選)に市議が立候補する場合が最も一般的です。県議選(本選)の2週間後に、市議選(本選)が行われるため、自動失職しても、定数には影響を与えません。つまり、その影響で、「当選できるはずだった人が当選できなくなる」ということはありません。したがって、市議から県議に立候補する場合は多くが自動失職が選択されることには問題はありません。
Aー2 県議⇒市長選立候補、市議⇒県知事選立候補
市議補欠選挙は市長選と同日、県議補欠選挙は県知事選と同日となっている。しかしながら、市長選・市議補選と、県知事選・県議補選は日程が異なるので、この立候補でも、市議補選や県議補選の定数は変化しない。
(ただ、今回、県議から市長選に立候補された鈴木ひろ子さんは、市議補選の定数には影響ない中でも、自動失職でなく辞職を選択・実行された)
B、「影響を及ぼす自動失職」
市議⇒市長選の時のみは、市議補選の当選枠に影響を及ぼすので、市議には道義的な行動が求められる。
Aー1、Aー2、Bの「区別」は、選挙のプロたる議員は知っている。しかし、選挙を詳しく知らない中で手伝っている選挙スタッフの中には知らない方もおられる。Aー1、Aー2の事例で、「自動失職は一般的に行われている」と言われた場合、実際はBの事例では、2~3万の市民の得票と2位候補の努力が無にされることまで選挙の市民スタッフが気づかなくても市民スタッフの責任ではない。しかし、もし、Aー1、Aー2、Bの区別を明確に知っている議員が、周囲に「自動失職は一般的に行われている」と説明し、つまがり氏の道義的問題を問わないとしたら、不十分な説明と言わざるをえません。
●船橋市議会選挙・市議会議員補欠選挙の44年の歴史の中での市議から市長への立候補者の態度
船橋市長選と船橋市議選(本選)は1979年4月22日までは同日に行われたので、そもそも「市議補欠選挙」はありませんでした。
船橋市長選が、市議選と市議選(4年後)のちょうど中間(2年目)に行われるようになったのは以下の経過です。
1979年4月22日(日)の市長選で当選された藤代七郎氏(のちの市長の藤代孝七氏の父、現副議長、藤代清七郎市議の祖父)が辞職されたことに伴い、市長選の2年後にもう1回市長選が行われることになったのです。
1981年6月6日(木)議会運営委員会、記録
市長の退職申し出のことについて
議長から次の通り報告がありました。各会派の代表の方からお聞き及びのことと思うが、去る5月29日、藤代市長から退職申出書が提出された。そして、公職選挙法に基づく選挙管理委員会への通知は6月2日に行った。
1981年7月19日(日)史上初の船橋市議補選
これに基づき、1981年7月19日(日)に船橋市長選と、船橋市の歴史上初めての船橋市議補選が実施されることになった。
1979年4月22日(日)に市長選と同日に行われた市議選で選ばれた52人の議員(当時は定数52人)のうち、すでに1981年市長選・市議補選実施日までに、葛生隆平市議、瀨谷野毅市議がご逝去され、田口清平市議が辞職された。この時点で補選の定数が3人となっていた。
更に、自民党の大塚保夫市議が、市長選立候補にあたり、市長選告示日(1981年7月9日)の約2週間前の6月26日に辞職し、自らの議席を新人議員のために譲った。市長選に立候補する先輩市議が、新人議員に4席目の議席を譲った。
この時の補欠選挙の結果は以下です。
1位 くしだ信明 自由民主党 33425
2位 岡本いさお 日本共産党 17390
3位 ますお博 民社党 16851
4位 池沢敏夫 日本社会党 15959
(5位候補 6239)
自民党の大塚保夫市議の市長選立候補前の辞職の最後の枠で、15959票の船橋市民の投票が死票とならず、日本社会党の池沢敏夫市議が誕生された。池沢敏夫市議は、のちに9期も議員を務められ、副議長までされたが、その出発点は、市長選に出た先輩議員が譲った議席だったのです。党派は自民党議席から日本社会党議席に変わったかもしれないが、船橋市議会として貴重な人材が育つ出発点となりました。
2001年6月24日(日)市議補選
次に、市議が市長選に立候補したのは、2001年6月24日の市長選・市議補選でした。当初は、2000年8月12日に林利嗣市議がご逝去されたことに伴い、市議補選の実施が決まり、その後、門田正則市議が、2001年3月の千葉県知事選挙への立候補前に2001年3月7日に辞職し、その時点で補欠選挙の定数は2となっていました。更に、田久保捷三市議(自民党)が立候補を表明し、当初は辞職を渋っていました。しかし、2回の会派代表者会での議論を受けて、議最終的には、市長選告示日(2001年6月17日)の前々日6月15日(金)に辞職され、新人議員に議席を譲り、補欠選挙の定数は3人となりました。田久保捷三市議は議長も経験された方で、最終的には会派代表者会議の雰囲気や、船橋市議員定数条例の主旨を尊重された行動をされました。その結果、市議補選で3位の伊藤あきひろ候補に投票した31578票の期待が、議席として、船橋市議会に反映され、伊藤あきひろ市議は、毎回質問をされ、その期待に応えた議員活動をされました。
<2001年市議補欠選挙(定数3)結果>
当 滝口ひろし 55540票
当 木村ゆり子 46420票
当 伊藤あきひろ 31578票
4位候補 16568票
つまがり氏は、支持者や選対内部では「自動失職は法律違反でないし、一般的にも行われてきた」ことと説明しているかもしれないといううわさを聞いているが、「市議⇒市長」への立候補に関しては、「市長選に立候補する先輩市議は、新人議員に議席を譲る」という当たり前の船橋市議会の諸先輩が育んできた「よき伝統」を、44年の市議補選の歴史で初めて破ったのが、つまがり元市議である。池沢敏夫市議や伊藤あきひろ市議のように将来活躍するかもしれなかった2025年市議補選2位候補の芽を摘み取った可能性があることについて、つまがり氏に対して道義的にはどう思うか、改めて問いかけたい。
(重ねて、この記事にもし批判があるようでしたら、どうぞ事実を持ってご反論ください。その前に5月29日に私が出した質問にお答えください)
重ねて、もし「選挙中なので忙しくて対応・応対できない」といわれるならば、6月22日(日)夜、当選されても落選されてもされるはずの「選挙結果を受けた、ご自身の市民へのHPなどでの声明」の際、その声明の中で、補選2位で市議になれなかった候補(名前も特定されます)と、その候補に投票した船橋市民の支持(票数も特定されます)に関して、なんらかの言及をされることが、人間としての誠意と考えます。
6月19日(木)追記
【朝倉幹晴発信 船橋市情報、講座企画情報、受験生応援情報】(一部)
●船橋市関連情報
【2025年度ふなばし市民まつりは9月27日(土)28日(日)・花火開催の可能性は協議中】(4月25日船橋市経済部長より報告)
【船橋市の夏至(6月21日)解説】太陽は「ほぼ正午」(11時40分)、南中高度77.7°に達する。
【小学生保護者の皆様へ】夏休み等、長期休業期間における「船っ子教室」の開室時刻が朝9時~から朝8時~に前倒しされます。
西船橋駅・原木中山駅経由で都内に出る時は東京メトロ24時間券(700円)を活用しましょう。
2025年船橋市議補選 大谷みつこさん(看護師)を応援しています 市議(無党派) 朝倉幹晴
●イベント・講座案内
【6月22日】 水島治郎(千葉大法政経学部教授)講演会「日本政治の変化をグローバルな観点から考える」のご案内
【6月28日】金澤伶(東京大学教養学部国際関係論4年&フルタイム正社員)講演会のご案内
【3巡目】船橋市全26公民館巡回「市政懇談会」2025年6~8月の開催予定
【 7月12日】箕輪はるか講演会「科学研究のおもしろさ~宇宙・海洋・放射線・クマムシ~」のご案内
【7月13日】 船橋活元会(みんなで活元運動をトレーニングする会)@船橋市茶華道センター
●受験生応援情報
【過去問12年分(2013年前期~2024年)】千葉県公立高校入試「数学」全問題・解答・解説(作成 予備校講師・船橋市議 朝倉幹晴)
【がんばれ受験生】大学入試共通テスト「数学IA・ⅡB」「生物基礎・生物」「倫理・政治経済」解答解説